昨年(2014)の春頃、私の住んでいる地域の新聞に、インドネシアのジャカルタ周辺で働く日本人駐在員の現状が報じられた。そこには、現地に赴任し、勝手のわかない国で働く駐在員を取り巻く様々な問題が取り上げられていた。日本との環境や風習の違いに対する戸惑い、世界一といわれる交通渋滞のストレス、新規事業を立ち上げるために単身現地へ赴いたものの、十分なサポートもないことや、現地の事情をよく把握せずに安易に仕事の指示を出してくる日本の会社に対する不満感など、駐在員を取り巻く問題点と、駐在員に精神障害を起こしたり、自殺する者が多いという実態が生々しく報じられていた。
私はこの新聞報道があった約一年前の早春に、タイへ駐在員として赴任した。そして、新聞で報じられたのと同じような現実を、タイでも目の当たりにしていた。私の会社の場合、既にタイに子会社を持っていた。ただ私の業務は、交代要員としての赴任ではなく、製造の新たな工程を、レンタル工場で立ち上げるという役割であった。だから、実際の現地の状況がよくわからず、タイへ行く前から恐怖心に近い不安感が常につきまとった。
実際に現地の職場へ赴いてみると、想像していたものとのギャップに愕然とした。タイの季節は暑期に入っていて、日中の気温は40℃近くまで上昇した。そんな中で、スポット冷風機が一部にあるだけという職場環境だった。暑さに耐えて少しでも早く体を順応させるということが、実際の仕事以前の大変な課題になった。タイへ来る前に抱いていた不安が、早くも現実のものとなってしまった。そんな作業環境の下で、量産の仕事に向けての準備を整え、地元タイ人ワーカー達に仕事を教えなければならなかった。
私の担当していた仕事は、職人仕事に属するもので、一つの仕事をそれなりに任せられるように育成するのに、数ヶ月はかかるのが普通であった。そんな仕事を、言葉も思うように通じないタイ人に教えるのは、大変なことであった。実際にタイ人に仕事を教えながら私は、自分の神経と根気がいつ切れてしまうのかという恐怖心を何度も抱いた。
タイ人に仕事を教え始めてまず直面したのが、タイ人男性のプライドの高さであった。日本人をなかなか認めようとしない。認めない相手に対して彼らは、こちらの言うことに鼻をくくった態度をするか、手抜きした仕事をする。また、一つ一つの作業についても、納得がいかないとたちまちクレームをつけてきた。私は、彼らが納得するまで根気よく説明しなければならなかった。
日本人に仕事を教えると、教えられたほうは十分に納得がいかないでも、上の者に言われたからと、何となく言われたままにやってしまうようなところがあった。しかし日本人に対するタイ人に、そんな妥協はなかった。言語の壁だけではなく、タイ人に仕事を教えるということは、日本人に仕事を教えるよりはるかに大変で根気のいる作業であるのだ。しかしその作業を根気よく続けていくと、彼らは素晴らしいレベルの仕事をした。
職人仕事を教える素材として、タイ人は絶好の資質を持っていた。これは、彼らの育ってきた生活環境に起因している部分が大きいと感じた。今日の日本人と違って彼らは、買い与えられるということがほとんどない。欲しい物は自分で作らなければならないという生活環境に育ってきている者が多い。そんな生活が彼らに、物を作ることに長けた能力を与えたのだろう。
タイでもバンコクやその周辺地域では、パソコンやインターネット、携帯電話は日本並みに普及している。昔の物資の少なかった時代の日本と単純に比較することはできない。しかし、タイ人の心の根底に宿っているもの、それは今日の若い世代の日本人が失ってしまた、原始のパワーであると感じた。