登録型派遣で働いている。工場の軽作業、量販店での推奨販売やディスプレイ、各種イベントの設営や撤去など、派遣先も就業先も一定しない。短期間の仕事が多いため、職場での人間関係は希薄だ。まれに派遣先で時給を訊かれる。目下のよそ者だからこそ向けられる遠慮のない質問といえる。もちろん正直に答える義務もないし、口を濁したり嘘でもいいのだが、なるべく本当の金額を口にする。意外そうな表情で受けとめられる。高給に対する羨望やねたみだろう。敬意ある視線を向けられることも多い。アルバイトやパートよりも好待遇なのだ。給料分の働きもできないくせにと、文句をつけたいのだろう。ごもっともだと感想を持ついっぽうで、ろくな就労内容の説明も受けずに現場へ放りこまれ、あすの仕事の保障もない身にとっては、理不尽な思いにとらわれる。非正規雇用者の時給相場への疑問を、おおっぴらに職場で口にするのは御法度だから口をつぐみ、あいまいな表情でやりすごす。決まって自己嫌悪にさいなまれ、無力感に陥る。露悪的かもしれないが、派遣の時給は知ってもらったほうがいい。ついでに実態も知ってもらいたい。仕事を見つけるのが困難な年齢になって、派遣で働くのがいやなら他人ごとではないのだ。
そもそも派遣労働者が人材派遣会社へ愛社精神めいた感情は持てない。派遣先が支払う派遣料金の多くを派遣元は搾取する。派遣登録する際に時給の提示や就労規則は伝えても、肝心な派遣の料金システムは告げない。働けるありがたみに満足させ、頭があがらない悪習を続かせる仕組みになっている。労使が対等な立場になると困るとばかりに労働者同士の団結を防ぎ、対立を深めるような手段さえ使う。給料がよくて肉体的負担の少ない仕事に就きたいために派遣スタッフは自らを売りこみ、臆面もなくライバルを誹謗中傷する。派遣元はその姑息な心理と弱い立場を利用して、うまくコントロールするのだ。横のつながりを断ち、競い合わせる合法的な貧困ビジネスかと勘ぐりたくなる。長く働くほどにつのるのは不信感による憎社精神だ。
就業先の従業員にとっても目障りに違いない。不慣れで足手まといにさえなるのにもかかわらず、派遣にかかる経費は少なくないのだ。おなじ職場で働けばおもしろくないのも当然といえる。不公平感を強いる構造になっているのだが、憤まんの矛先は人材派遣会社や上長へ向かわずに派遣労働者へ向けられる。とりわけ非正規と派遣の賃金に関するあつれきをなくすのは困難だ。そもそもの雇用形態が違うのだから比較しようがないのだが、おなじ職場でおなじ仕事をしているために格差を感じてしまう。正規よりも不安定な立場にある労働者だからこそ賃金も高くなるような社会的合意が必要なはずなのに、現状はベアや長時間労働という問題を自己責任に押しつけている。パートや派遣をかけ持ちしている人たちは睡眠時間を削り、身を粉にして働いているのに余裕のある生活とはほど遠い。現状維持のきびしさに悲鳴をあげている。
マスコミ報道をはじめ多くの政治家や有識者までもが、大企業の正規雇用者で社会が動いているような考えらしい。既得権益を守るために非正規の不利なあつかいを当然だとする矛盾への追究を避けている。正規の生活を守るという理由で問題提起すら認められないような風潮だ。正規の過労を正当化するのも、非正規なれば生活できないとの脅しだ。諦めを強いられるうちに思考の停止を招き、視野も狭くなる。景気をけん引するのが正規という位置づけでは利益の一極集中は加速するばかりで、いつまでたっても非正規は苛酷な条件から抜け出せない。永遠に続きそうな現状を、未来が解決してくれる予感があるのなら救われる。社会全体の豊かさを求めなければ、格差も貧困も必要で片付けられてしまう。きしむひずみがますます拡大すれば、社会の土台が崩壊するのは確実だ。