「働くってのは、『はた』を『らく』にしてやることさ。(中略)はたの人をらくにしてやると、自分もきっとらくになるんだよー」これは山本有三が「路傍の石」の小説の中で、老人が主人公の少年に語りかける言葉である。
私は後2年で定年退職を迎える小学校の教員である。子どもや保護者、地域から信頼され、充実した教員生活を送っていた頃もあったが、そうでない頃もあった。ある年の人事異動で転勤となった小学校は、「子どもの荒れ」が表面化し、何かと指導が難しく毎日が心も体も疲労困憊で、苦慮する日々が続いた。
そんなある日、大きな研究会の会場校を引き受けざるを得なくなった。けんけんがくがくの論議が繰り返された。研究会の体裁を整えればよいという考えもあったが、それよりもこれを機会に、学校を建て直そうではないかとなった。
この論議がきっかけとなり、子どもたちへの日常の指導を振り返ることから始めた。まず始めに、何よりも子どもから学ぶ姿勢を大切にしようと言うことだった。日々多忙なことを理由にして、実は子どもを見ているようで、見ていないことに気付かされる。子どもを「見る」ことが、すべての源であるにもかかわらずである。私達は厳しい現状を直視すると共に、力量不足を深く反省もすることになる。
次に、子どもを大切にする感性を職員全員で高めようと努めた。これは子どもを甘やかせ、こびへつらうと言うものではない。個々の成長をつかみ、人格形成を発達の側面からとらえ、集団の中で個性の良さを認め合う中で、生きる喜びに満ちた学習集団に高めたい。
そして、様々な問題には、基本的にオープンとし原理原則を踏まえて誠意を持って対処することに努めた。
これらの取り組みは、職員の協力なくしては、できるものではない。また取り組みの成果と課題を明確にし、次に生かすことを常々留意した。時には職員間で衝突もあり、また人事異動のために継承されず、取り組みが停滞することもあった。
しかし、大きな研究会から3年で、徐々に「子どもの荒れ」が沈静化し、さらに5年後には、どの教員の指示も通り、子どもらしい笑顔あふれる落ち着いた学校となった。
どうして、ここまで成果を上げ、学校を建て直すことができたのか。それは多様な考えを持つ教員が、子どもや学校、働くことについて、時には愚痴ることもしながら、話し合い考え、最後まで諦めずに地道に実践を積み重ねたからだと思う。大切なことは、困難に目をふさがず、職場の仲間と知恵や勇気を結集し追求することだ。実はこのことが、よりよい社会の実現にもつながる。
「私達、教員にとって働くってのは、子どもに『学校は楽しい!』と言わせることだ」子どもにそう言わせられたら、教員もきっと学校が楽しくなり、働きがいが生まれ、それが生き甲斐となるだろう。