高校卒業後、就職したのが一般事務職。高校3年生になると進学か就職か、
選択を迫られる時期、何もわからない年齢で選択肢はいずれか。
私は就職を選びました。家庭の経済的事情でした。このことは、のちに私を、
励ます事柄でもありました。大学卒業者には、絶対負けない!!
ですので、私の考えは一度就職したら、石の上にも3年ではなく、4年なのです。
また、その4年間で事務的なこと、営業トーク等、事務職ではありましたが、
様々な経験をさせていただきました。その時代は、女性がいくら頑張っても社長にはなりにくい時代、そうです、長とついて呼ばれる女性は、幼稚園の園長先生ぐらいでした。
また、旧ジャスコ(現イオン)で女性の係長誕生!と大々的にニュースになった時代です。
男性との格差は、当然・当たり前・普通のことだったのです。
男性がいると社長になれない、男性がいない職場で社長になりたいと強く思いました。
さて、3年半が過ぎた頃、そろそろ卒業です。(私の心の中で決めていました)
4年が卒業いや、転職です。引き継ぎのこともあるので半年前から支店長に相談していました。負けず嫌いの性格です。もちろん仕事はバリバリ頑張ってきました。ということは、会社にとっては、やっと戦力になる社員が退職願を申し出るわけです。引き止めますよね。
しかし、私がやりたかったこと、なりたかったことは、一般事務員ではないのです。
社長になりたいのです。その思いは、男性との賃金格差。同じように仕事をして、いや、
勝るような仕事をしても男性のほうが賃金が多い、許せない。いやだ!!
そのように思うなら、今の会社では実現しません。そうです、卒業・転職です。
ちょうど今から遡ること38年前 1977年7月21日
その転職も、7月20日までは、事務職員 7月21日は、転職先での仕事が始まりました。
美容部員の仕事です。ここなら、男性は少ないと考えました。その当時は、男性職女性職と、ハローワークでも、区別表示できた時代です。
1日たりとも無駄にしない、ずっと働き続ける、それは苦痛でもなく、むしろ楽しみです。
これからは、人に頭を下げて仕事をしていく、若干21歳の女の子が選ぶには、少しハードルが高かったかな?と思えました。でも負けず嫌い、社長になりたい!そんな思いが私を頑張らせました。若いから、乗り越えられたこと、涙を流し悔しい思いをしたこと、飛び込み営業が主体ですから、毎日毎日歩いて歩いて足の指10本に水ぶくれ、日焼けで肩はひりひり、そうです。7月21日天気晴れ、今でも覚えています。そのかいあり、お客様が徐々に増えてきました。この仕事はお客様に育てられ、励まされ、本当にありがたいと思える仕事です。
お客様のことを中心に考えて、お客様が喜ばれることを考えていれば、自然に成果が出てきました。38年後の今年7月21日火曜日大安晴れ、私は高齢者・障害者コミュニティービジネスを立ち上げ、これからの自分を通じて見える事、長年私のお客様としてお付き合いいただいた方々も高齢者になりました。皆さんお気持ちは20代なのですがね。
お客様のご意見を反映した、高齢者・障害者コミュニティービジネスです。
これからの社会福祉環境をよりよくできる、仕事をしたいと思っております。
今頑張っています。高齢者の立場から、発信できる事、変えていける事。
今意見を届けることが、未来の高齢者のお役に立てるのであれば、と考えております。
今から頑張れるのは、38年前の決断できた自分がいたこと、安定から不安定を選んだ自分に間違いがなかったこと、それが原動力です。若さは、失敗がエネルギーとして変えられ、蓄積できる時です。この時にたくさんの失敗貯金をしてほしいですね。この貯金は、後々人財として、変化します。
今とても楽しいです、新しい事業に挑戦しているのですから。