来年3月末をもって私は退職する。大学を出てから38年間、教員としての人生を終えることになる。最終的には校長という立場で退職することになったが、25年間は担任として働いていた。
私の家族は、祖父・祖母・叔父・叔母・両親が教員で、私も大人になったら「先生になる」と知らず知らずのうちに決めていた。しかし、そのことに今全く後悔はない。
若い人たちに教師という職業はどう映っているのか分からないが、私は女性として男性と同等に働くことの出来る素晴らしい職業だと思っている。給与も資格もすべて男女差はない。その代わり男女同等の仕事を要求される。小学校高学年の担任になると時には「女の先生か、ハズレだな」という言葉を投げつけられることもあるが、それに負けないように男性以上に頑張る女性教師が多い。
そればかりではない。都会の学校はどうか知らないが、学力・体力日本一の福井県の学校は、教師は子どもたちの登校前の7時半には出勤し、翌日の教材研究等を済ませると帰宅は8時過ぎというのが珍しくないというブラック企業だ。我が子と一緒に夕食を食べられない教師がどれほど多いか。これにも男女差は全くない。多分どこでも女性にとって子育てしながら働くことは大変なことなのだ。
でも、若い方々に伝えたい。働くことで、誰かの役に立つということ、自分の可能性に挑戦するということ、自分の力で何かが変わるということが、どんなに素晴らしいことかを知ってほしい。
しかし、若い方々は、こう言うかもしれない。「仕事中心の人生は嫌だ。自分の生活を楽しむ余裕がほしい。」と。その通りだと思う。
ただ考えてほしい。あなた方が生活を楽しんでいるとき、その楽しみを支えている人が、必ずいるはずである。誰かに支えられて、誰かを支えて人は生きている。女性でも男性でも支えたいし支えられたいのではないか。
正直に言うと、この30有余年は葛藤の連続だった。良き妻でありたい、良き母でありたい、でも、良き教師でありたい。悩み、苦しみ、あがき続けた日々だった。なぜそこまでして働いたのか、仕事が楽しかったから、生きがいを感じたからである。
若い方々には、そういう仕事を見つけてほしい。
働くって何だろう、と問われれば「人として生きることだ」と答えるだろう。縄文時代であっても人は働いた。採集や狩猟によって糊口を凌いだ。火をおこし子どもに乳を与えた。生きることが、働くということだ。ただ自分の労働により幸せを得ていた人が、身の回りの限られていた人々から、もっと広い範囲の人々に変わっただけだと思う。
若い方々には生きることに誇りを持って頂きたい。自分の仕事に誇りを持って頂きたい。女性には自立して頂きたい。それは男性と張り合うということではなく、独身を通すということでもなく、仕事のためには子どもをあきらめるということでもなく、主婦という働き方も含めて、自分の仕事に誇りを持ち、自信を持って生きて頂きたいということだ。
時代はどんどん変わっていくだろう。もうすぐ還暦の私には理解できないことがたくさんあるのだろう。時代遅れの年寄りの戯れ言だと思われるかもしれない。しかし、私も懸命に生きてきた。若い方々にもその時代の自分の人生を懸命に生きて頂ければいい。それが働くということ、生きるということだと考える。