【 努力賞 】
【テーマ:仕事・職場・転職から学んだこと】
ボンジュール・マダム
千葉県 渡会三郎 65歳

珍しく外国から小包みが届く。

送り主はパリに嫁いで20年余りになるかつて担任した教え子で、折しもボジョレー・ヌーボーの季節、中身は赤、白、ロゼの三本の高級ワインだった。手紙が添えられていて、それには達筆な字でこう書かれていた。 『先生の頭を私は幸福の神様に重ねます。きっと今は前髪はフサフサ(白髪だったりして?)でも、後頭部はつるっハゲのピカピカでしょうね。先生は野良猫のような日々を送っていた私を拾ってくれた。けれど、そのためにどれ程髪の毛を減らしたことだろうかと今頃になって胸が痛みます。あの頃は本当にごめんなさい。ワインにはポリフェノールがいっぱい含まれていて髪にとてもいいそうです。せめてもの罪滅ぼしに!』

何をぬかしゃあがると、一人でブツブツこぼしながら私は嬉しくてたまらない。

追伸にこうあった。
『来春、先生の退職記念会を計画しています。母校の校庭の満開の桜の下で一緒に写真を撮りましょう』

教え子のM子は中学時代、ガン黒の化粧、茶髪にピアスのいわゆる『ワル』だった。給食を廊下の階段で胡坐をかいて食べる、公園で暴走族と酒宴を開き、補導された警察署で髪を振り乱して大暴れする――そんな彼女に振り回されながら、「お前を俺は見捨てないゾ」と大見栄を切り、「しかし俺の髪の毛をあまり減らすなよ」と諌めた私。

M子は父の血を多く継いだのか、ファッション関係の元モデルであった容姿端麗の母と比べると、見栄えがかなり劣っていた。
『清少納言へ手紙を書いてみよう』――国語の授業でこんな課題を与えたところ彼女はこう記した。
『ブスにも女の幸せはありますか。若い頃のあなたは才能ある人として周りからチヤホヤもされたけれど、最後はあばら家であまり幸福な死に方はしなかったと先生から聞きました。キャリアウーマンのなれの果てでしょうか。もしあなたが美人だったら、もう少し違った一生があったような気がするのです』

光の当たる角度によっては美少女の部類に入る彼女がなぜそこまでコンプレックスを抱くのか合点がいかなかったのだが、高校卒業後美容師の道を選んだと聞いたとき、私は彼女の思い込みの強さにまた驚かされた。一通り美容の技術をマスターすると、ニューヨーク、ドイツへと修業の旅に出て、パリで現地の男と結婚し、今では有名な女優も顧客に持つ美容院を経営しているという。
「お前は本当はとてもいい子なんだ」と諭す私に、「優しい先生って苦手なんだ」とそっぽを向き続け、卒業式にも参加出来なかったM子――「あんな格好を認めるわけにはいかない」という同僚の声に抗しきれなかった自分に私はいまだに胸が痛む。

贈られたワインを味わいながら、私は彼女への礼状をしたためる。
『ポリフェノール、ありがとう。髪がとても喜んでいるよ。……君の言う幸福の神様は羽のついた靴を履いているからすぐどこかへ飛んで行ってしまうし、底の抜けた壺を持っていて、それは満たされることがないんだ。再会を楽しみにしてる! もう校庭で暴れるなよ。私はもう退職するのだから』

高倉健は好きで俳優になったわけではないという。私もまた今だから言えるが、どうしても教師になりたくてなったわけではない。なって初めてその仕事の奥深さ、面白さを悟った口だ。多くの生徒達の眼差しに教えられて。

――どのような職業であれ本気になったとき道は開けるのではないかと、ワインの香りにガン黒の美少女の顔を思い浮かべる私がいる。

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