私が小さいころからなりたかったのは教師だった。町には幼稚園があったが、通うことがなく小学校に入学した。そこで出会った女の先生を見てあこがれたのだと思う。小さい子を集めて学校ごっこをしていて、男子にからかわれたこともある。
しかし、現実は厳しく貧しい農家では高校に行かせてもらうのが精一杯で、卒業すると就職、退職、結婚、育児に追われる日々を過ごしてきた。
そんな時職場の先輩が遊びにこられ、「これからは資格の時代よ。資格を持っていたので○○さんは離婚して帰ってきたけど、町の正職員になったよ。あなたはまだ若いから挑戦してみたら?」と言われた。
向う見ずな私は「それでは」と保育士の資格試験に挑戦した。何回も失敗を重ねた末に資格が取れた。
ちょうどその頃、町に私立保育園ができて私も採用された。
経営者は素人だったが、子どもが好きで夢いっぱいの人だった。みんなで話し合いながら独自の行事をつくり楽しかったが、経営者が代わったのを機に退職した。
その後いろいろな職に就いた。
市町村合併で私の町は小林市になり、市から野尻地区に放課後児童クラブをつくる計画があるが、委託事業の受け皿になってくれないかとの声がかかった。
それまで文科省の放課後児童教室を受けて事業を展開していたので、私の所属するNPO法人開拓舎が受けることにした。
それから3年、初年度は2つの小学校に児童を迎えに行き、一ヶ所で保育をしていたが、今年度からは私たちの願いが届き、3つの小学校で放課後児童クラブが開設された。
3校出身の支援員がリーダー(常勤)となり、リーダーを支える支援員もそろった。
私には保育士をしている頃から夢があった。それは子どもたちに野山や川あそびをさせたい。もっともっと自然にかかわらせたい、というものだった。私塾を開きたいと思っていた。
今、児童クラブでそれができる。農作物の栽培、収穫はもとより、春はわらび、竹の子、ふきなどの山菜取り、草スキー、夏は竹イカダなどの川遊び、魚釣り、秋は登山など。ちり拾いをしながらの散策や公共施設の清掃、あいさつ運動などやりたかったことがいろいろできてとても楽しい毎日である。
私は66歳、決して若くはない。一年生とかけっこをしたらすぐに追い越されるし、ちょっとした高さの土手からはもう跳べない。
それでも「楠本さんは厳しいけど、何でもさせてくれるから好き!」と言ってくれる子どものことばに励まされ、今年の夏は「山あそび」の目標実現に奮闘中である。