それまで21年間、産業機械の営業職として勤務していた総合商社を退職した理由は、製造業に対する憧れにも似た関心の高さからだった。商社では顧客の工場を廻ってニーズを掘り起こし、海外や日本の機械メーカーの食品機械や作業機械を提案していた。いろいろ苦労はあったが、やっていることは機械メーカーから仕入れて、それを販売するしいう卸売である。要は機械という商品を右から左にさばく図式でもあり、売ったものに対する思い入れはそれほど強くあった訳ではない。そうしているうちに、商社が営業で売る物は他社から仕入れたものであって、決して自社で作った商品ではない、という一点を強く意識するようになった。自社で製造した商品を営業できたらと思い始め、思い切って商社をやめて製造メーカー勤務への道を模索した次第である。転職への挑戦は44才になる直前だったが、念願の食品機械メーカーに営業職で就職することができた。
12人程の大阪営業所が新しい職場となり、営業でとび廻る毎日は新鮮で、学ぶべきことは多かったが、営業ではベテランのつもりでも、それまでとは業界が違うだけに、新しい知識の習得にとまどいもあった。それに、営業の成果はなかなか現れてこず、随分と焦慮に駆られたことを思い出す。ただ無我夢中だった。そんな時、ふと我に返ったのは、自分は自分の勤める会社が作り出す商品の販売に喜びを求めて、この会社に入社したのではなかったのかということだった。会社が永年積み上げてきた技術を駆使して開発した機械(商品)。それを広く世に出すためではないのか。その機械によって相手の会社が幸せになることをなぜもっと意識できないのか。それが自分の喜びの筈ではなかったのか。43才という、決して若くない時期に、永年在籍した会社をやめてまでこの会社に転職したのは何のためだったのか、という自問であった。
その日をきっかけに私の意識は変わっていった。業界で1、2位を争う食品機械メーカーの営業マンだということも改めて自覚したのである。それ以来、自社の商品(機械)をもっと知りたいという気持が旺盛になり、勉強していくにつれ、愛着のようなものも芽生えてきた。悩むことも多々あったが、営業は会社を代表する顔であり、会社を維持するために多くを売ることに責任を負っている、という気持は益々強くなっていったように思う。
そのうち顧客が増えていくと、経営トップから工場の生産と合理化について相談を受けるようになり、提案したものが採用され、それが工場で稼動している姿を目にして内心充足感で一杯になる。やはり自社で作った機械が顧客の工場でフルに活躍しているのは、それは感動的である。実はそこに至るまでには私達メーカー側の本社工場で、出荷前の立会テストを経てきている。立ち合うのは顧客の主だった人達、そして私達の現場技術社員。もちろん私もその場にいる。テストに沿って、技術者が時折工具を片手に慎重に機械を調整してゆく。それを見守る顧客。それは数時間にも及び、作業を続ける技術者の額に汗が滲む。顧客の工場でその機械が稼動しているのを見る度に、あの技術者、機械そして私がどこかで一体化していると思った。それは商社時代には感じられなかった喜びでもあった。