1982年、ヨーロッパへの輸出の販売車が錆で大問題となった。
錆プロジェクトが編成され60名のメンバーが、ヨーロッパ各国に振り分けられ錆対応が実施された。私は、まとめ役として各国を駆け巡り錆対応を進めた。
約一年間暫定措置に追われ、次の新機種に錆対応策を反映することでプロジェクトメンバーは帰国し解散した。
帰国直後、私の錆対策の進め方が認められたのか、現地からの要望があり役員室からベルギーにあるヨーロッパヘッドオフィスへの駐在の指示が出た。主任であった私の上司は、私の人事は役員室が決めるのではない、と反発したが再三の要請で私の駐在は決定した。
結婚したばかりであったので妻帯者の駐在である。
赴任したその日から、オランダの販売店のオーナーから、お客さんの錆のコンプレーンに対応してくれとの要請に、高速道路を百キロのスピートで出向いた
販売店に着くと、待ち兼ねていたオーナーとユーザーが手招き、人差し指を押し付けてみろとボンネットを指差した。軽く指を押し付けると、指は塗膜からその下の鉄板も、ブスリと突き抜けた。
「これが錆た状況だ。ユーザーは新車に交換するか完璧な対応をしてほしいと言っている。販売店としてもこのままだと君のメーカーの車は扱えないよ。どうにかしてくれ」
オーナーの言葉は、もっともなことである。こんな錆状況では車は買ってくれなくなるであろう。とりあえず、ボンネット交換と、新機種に錆対応をしている、ということで納得してもらった。
私は、日本では考えられない錆に驚き、何故そんなにも酷い錆になってしまうのかを徹底調査した。
ヨーロッパの雪の日は、9月中旬頃から降り始め、翌年の4月までの約7ヶ月間である。日本では雪が降ると、当時はタイヤにチェーンを巻き付けていたが、ヨーロッパでは路面が傷むことで全面禁止であった。
そのために凍結防止の岩塩をトラックで撒布していた。岩塩の中には先の尖った小石が多く含まれていた。
車が百キロのスピートで走行すると、その小石は、後続車や並行している車のドアーやボンネットに跳ねられて突き刺さるように当たる。その箇所は塗装を突き破り小さな穴をあける。その穴からボンネットの温かさに溶けた雪が侵入する。
侵入した水は、塩水なので鉄板が錆びる。錆びは気触れ状態となり広がっていく。鉄板は錆でボロボロとなり塗膜は錆びないので塗装だけになる。そこを指で押し当てると、ブスリと突き刺さってしまう。
車を販売するためには、その国のユーザーの車の使い勝手、気象状況、車のメンテナンス等を徹底して調査するのであるが、岩塩の中に小石が含まれていることは知らなかった。ましてや小石の先が尖っていることなど無知であった。先ず、その調査が欠けていたために錆問題は大きくなった。
もう一つの大きな要因は、ヨーロッパは塗装にゴミが含まれていてもかまわない、膜厚を厚くする。それに弾力性に富んだ塗装をすることが欠けていた。膜厚は日本車の1.5倍あり、日本車の塗装を剥がして折り曲げるとポキリと折れてしまうが、ヨーロッパ車は折れない。
ヨーロッパ車はストーンチッピング対策が施されているが、日本車は全く施されていない。錆問題がが発生するのは当たり前であった。
錆クレームは当時40数億となり収益を圧迫したが、2年後は激減した。
いろいろ学ばせてもらった駐在であったが一番の収穫は娘が現地で誕生した事であった。