私は小学5年生のある日の体験が忘れられない。農村部の私のクラスは生徒数40名に満たない小さな学級だった。ある日、社会科学習で地元の製材工場を訪れる途中だった。担任は独身のA先生で、地元の女学校を出て2年程教職の経験を積んだ代用教員でした。訪問工場の敷地内で、近道の住宅の裏手を通ったとき、その家屋の縁側から和服姿の若い女性が私たち一行を見ていた。と引率の担任とその女性は「あらっと」同時に驚きの声を上げた。偶然に再会した様子から、2人は地元の女学校で同級生だったとすぐにわかった。その女性は嫁いできたばかりの若妻らしく、初々しさが子ども心にも感じられた。と同時に暇を持て余している様子が気の毒に思えた。
20代に入ったばかりの2人の仲良さんの一方は教師として忙しい日課をこなす職業婦人、もう一方は良家の若奥様として暇を持て余している家庭人、好対象な女性二方の生き方が強く子ども心に印象に残った。
職業を持つ女性は今日のように一般的でない昭和10年代の記憶である。当時から戦後もしばらくは、女性は家庭に入って子どもを産み育て、家業の手伝いをして家の中でちまちま生きるというのが定着していた。それで満足という女性がいたら、それはそれで良しとしよう。しかし、私が小学時代に体験した担任の先生と暇を持て余している主婦の二方の生き方は、どうしても前者に私の希望は強く傾くのだ。大人になってもその意識は変わっていない。
今日の女性は働く場を意識して進学し、結婚しても職場を放棄せずに働くんだと問題意識を持って社会進出を心がけていると言っても過言でないと思う。その一例は、朝の通勤の遅い時間帯に電車に乗ってわかったのだが、ベビーカーで通勤途中の女性に出あうことが多くなったことからも断定できよう。
昨今、女性の社会進出はめざましいものがあるが、家計のたしにという理由や経済力を確保して自身の活動の場を広げたいという個人的な意欲も手伝って、家庭を飛び出す主婦が増えているのは社会構築上、大いに結構なことと言える時代になったと思う。
私は高校を出て教師の道を選択したが、地元の教育学部の学生時代、夏休みに仲間と旅の途中、偶然にも小学校時代の恩師のグループとバスの中で再会した。A先生は結婚し子供がいる身でも教師を続けていた。赤ん坊をおんぶした写真を友人から見せてもらったことがあったので、子育てしながら頑張っておられる健康な先生に陰ながら拍手を送ったのを思い出した。
女の生き方として結婚しても社会との接点を放棄しない生き方は、健康に恵まれ家庭環環が後押ししてくれている証拠と恩師に拍手を送った。
私は師の影響を受け、教師になり退職して久しい。結婚して子や孫もいるが、今日、教え子との交流も途絶えてはいない。家族や親せき以外に言葉を交わし文通する対象がいることは、生きる励みになっている。老いても社会との接点を持つことは大切な生きる要素であると気づかされる。