公益財団法人 日本生産性本部会長賞
正義の味方―。悪い奴をやっつける、みんなから愛されるヒーロー。これが僕の小さい頃の夢だった。ウルトラマンや仮面ライダー、戦隊モノのヒーローが僕の憧れのマト。その証拠に僕が映る昔の写真のほとんどは、ヒーローの決めポーズで写っている。お気に入りはウルトラマンの必殺技・スペシウム光線の真似事。大好きだった。あの頃の僕は、いつか自分もみんなを救える正義のヒーローになるのだと、信じて疑わなかった。
しかし、現実はどうだ。僕の今の仕事は僧侶。お坊さんだ。その登場シーンといえば、誰かに不幸があったとき。そう、悲しみの現場があって、はじめて現れるのが僕たちの仕事なのだ。昔に憧れていた、ピンチになったら必ず現れ、みんなを救うヒーローとは大きな違いだ。もちろん、僧侶も大切な仕事だということは理解している。でも、心のどこかで昔の夢とは、かけ離れた自分の立場に物足りなさを感じていたのも事実だった。
そんな、ある日のことだ。お参り先のお母さんに「ちょっと見て欲しいものがあるのよ」と呼び止められた。聞けば、10歳の息子さん・翔太くんが、学校の行事で『二分の一成人式』に出席し、将来なりたいもの、いわば夢を語ったのだという。早速、撮影したものを見させてもらうことになった。
「野球選手になりたいです」
「私は花屋さん」
「僕はサッカー選手」と10才の少年少女が次々に嘘偽りのない純粋な想いを語っていく。
そして、ついに翔太くんの番。何て言うのかと興味津々で見ていると、彼は立ち上がり、大きな声で言うのだった。
「僕が将来、なりたいのは、お坊さんです」
えっ? まさかの発言に僕はニヤけることしかできなかった。嬉しさはある。でも、それ以上に、なんで?という疑問が頭を占領していた。
「ビックリでしょ。でも、うちの子にとっては、お坊さんはヒーローなんだと思うのよ。あの手紙に翔太は救われたから」とお母さん。
四年前の話だ。まだ翔太くんが一年生だった頃、大好きだったお婆ちゃんが亡くなり、僕のお寺が主導でお葬式をあげることになった。その席で号泣する翔太くんがいた。だから僕は、彼にお棺の中にお婆ちゃんへの手紙を書く事を提案した。「きっと思いは届くから、思いの丈をそのまま書いてごらん」って。なぜ、その時、そんな行動したのか分からない。ただ、彼の悲しみを少しでも和らげたかったんだと思う。
お母さんによれば、それで、翔太くんの気持ちは救われたのだという。素直に嬉しい話だが、正直、ヒーローだ、という実感は沸かなかった。
その日の晩、妻にこのことを話すと意外な言葉が返ってきた。
「私もその子と同感ね。あなたはヒーローなのよ」
妻の実家は病院。医者である父親の仕事を幼い頃から見てきており、ずっと感じていたのだという。ただ、僕にとってみれば、命を救え、みんなから感謝される医者の方がヒーローじゃないか、と思ってしまう。でも、妻が言うには、それが違うらしい。
「医者は治療中なら、身体の不調を和らげることはできるけど、救えるのは『今』だけ。あとの世界は救えない。でもあなたは違うじゃない。命は救えないかもしれないけど、残った遺族の心を救えるのはあなたたちの仕事だけだよ」
そう言われた瞬間、自分の中にあった心のモヤが晴れていく気がした。そうだ、その通りだ。僧侶という仕事は、悪い奴をやっつけるヒーローにはなれない。でも、身内の死を目の当たりにし、苦しむ人の心を救えるヒーローにはなれるかもしれない。死と一緒に向き合い、命の尊さを感じ、故人様と遺族の心をつなぐ。それが僧侶の本来の仕事だ。
考えてみれば、医者は医者、警察は警察、会社員は会社員の求められる仕事がある。みんな必要とされるヒーローなのだ。そう思うと心が一気に軽くなった。
僧侶としてできること、僧侶しかできないこと。死と向き合い、悲しみから心を救うヒーローになりたい。これが今の僕の夢だ。