一般財団法人 あすなろ会 会長賞
私は職場で浮いていた。
浮かざるを得なかった。何をするにも初めて。新卒社会人22歳は部内150名の中で一番の下っ端だ。みんなの顔と名前を一致させることが最初の私に課された仕事。研修は抽象的すぎて実際の仕事にほぼ反映されない。すべてが最初から「わからない」。毎日昼の12時に起きていた大学生は4月1日を堺に「社会人」という役割を背負い、右も左もわからぬまま巨大な組織に放り込まれた。入社の際の面接では「やりたいこと」や「頑張ったこと」を聞かれた。就職活動本に載っていた通りに答えた。だって、わからないから。私は自分で自分がわからないから。ただ走るしかなかった。わからなくても前に進むしかなかった。後ろを振り向くことは今の私には許されなかった。もう私に「大学生」という言葉は通用しない。
私が就職活動を終えて、時間を持て余していた3月に、父が実家で倒れた。電話先で母が半泣きだった。「ウイルス性髄膜炎で、死ぬ可能性が30%」と聞いたとき、頭が真っ白になった。一番頼りにしていた人を失う感覚を味わった。親なんていつでも助けてくれる。心のどこかでそう思っていた。無償の愛を注いでくれる唯一の存在が親だ。その親がいなくなる。世間は無償の愛など注いでくれない。自分に利益になる人を人は好きになる。友達でいてくれる。恋人になってくれる。会社は雇ってくれる。お金を払ってくれる。
私はもう誰にも頼れない。入院している父に会いに行くために新幹線に乗っている時、ふと思った。父とサファリパークへ行ってシマウマのぬいぐるみを買ってもらったことをふと思い出した。笑顔だった。幸せだった。楽しかった。そんな幸せな時間を提供できる人になりたいといつか考えたことも、思い出した。
「死ぬことは免れましたが、脳に障害が残るでしょう。」医者は父が働くことが難しくなる可能性を母に伝えたという。父は、朦朧とする意識の中で携帯電話を探した。会社に連絡をとらなきゃ、お客さんに○○を伝えなきゃ。私は病室で看病しながら「今は安静にしてて」と言った。「俺はもう社会に必要とされていないのかな」痩せた頬を父の涙がつたっていく。そんなに会社って大事なの?生きていればいいんじゃないの?そんなに社会に必要とされたいの?働きたいの?残業つらいって、言ってたのに。部下をまとめるのがたいへんって、言ってたのに。その時点で働いたことのない私の頭はぐるぐるだった。
「仕事、たいへんだと思うけど、珠美なら頑張れるって信じてるからな。おまえは出来る子だから。お父さんの遺伝子を引き継いでるから。お父さんは今回いろんなものを失ったよ。早く会社に復帰しないとな。つらかったら、どうしても我慢できなかったら実家に帰ってこいよ。東京は闘う町だからな。潰れるほど我慢しちゃダメだ」
ごめんね、お父さん。私、帰らない。
潰れないし、お父さんにももう頼らない。
弱音も吐かないよ。私は決めたんだから。仕事の内容すらわからないけど、自分が何をしたいのかも、まだよくわからないけど、「社会人」という羽根をもらったから。お父さんの代わりに、羽ばたかないといけないから。それがいろんな人の希望になるなら、別にいい。もう自分のためだけに生きるのはやめるよ。
ねえ、お父さん。今日も私は仕事しているよ。大量の業務を任されているよ。上司には毎日注意されているよ。失敗ばかりで、いろんな人に迷惑をかけているよ。私の勤めている会社は巨大な組織で、いったい何人の人が「自分のやりたいこと」をしているのかはわからない。私もその一人で、今ある仕事をただやみくもにこなしているだけなんだ・・・。でもね、働くことで学んだことがあるの。それは、お父さんが言ってた「社会に必要とされる人」になれるってこと・・・・・・利益を提供できる側になれるってこと。そしていつかは、お父さんみたいに無償で愛を注げる人にもなるよ・・・。