公益財団法人 勤労青少年躍進会 理事長賞
毎朝5時半に起きて、ジムへ行って汗を流し、自宅からたった5分の距離の職場にあるリゾートホテルへ出勤する。日々同じようで少しずつ違う仕事を、仲間たちと懸命に取り組む。そして就業後は英会話学校へ通ったり、ボランティアでベビーシッターをしたりと、帰路に着く頃には疲労困憊という日常を、私はこの地アメリカで送ってきた。毎日疲れているはずなのに、私はいま気持ちのよい充実感で満ちている。「ワークライフバランス」という言葉をこれほどまでに意識したことは今まであっただろうか。
営業職として配属された新入社員時代の私は、課された業務を真面目にこなすのはもちろんのこと、連日に及ぶ接待や飲み会、休日も取引先の行事には必ず出席する仕事人間だった。確かに忙しかったが、職場の先輩や上司に認められ、期待されるのは嬉しかったし、ずっとこの仕事中心の生活が続いていくのが当たり前だと思っていた。
私に転機が訪れたのは入社3年目のこと。新設のホテル部門へ配属が決まると同時に、海外でのリゾートホテル研修の切符を手に入れた。海外勤務は私の憧れでもあり、兼ねてからの夢だった英語を使った仕事ができると、私は未来への期待感に胸を踊らせた。
しかし、実際にアメリカへ駐在になると現実はそう優しいものではなかった。あんなに勉強した英語も、皆口調が早すぎて会話についていけない。仲の良い友人や同僚にそれを相談するにも、日本とは時差があるため躊躇があった。また、アメリカもノースカロライナ西部のリゾート地とあって、ゲストは地元のアメリカ人ばかり。もちろんこの街には日本人もいない。思えば、交通手段もない。レンタカーを借りに行くにも自動車が必要なありさまだ。それにしても一番辛かったのは食生活だ。25年間慣れ親しんだ和食は全く見当たらない。今まで欲しいときに欲しいものが買えたコンビニが恋しく思えた。
そのような環境に辟易し、途中帰国は何度も考えた。しかし、任期を終えるまでこの地で生活ができたのには、理由がある。
ゲストとの会話を躊躇する私に対し、ロールプレイングに何度も付き合ってくれた同僚。英会話学校を紹介してくれたマネージャー。ジムに一緒に通うまで仲良くなった英会話学校の先生。夕食会に招待してくれる地元の友人。和食が恋しくてたまらない私に麻婆豆腐をつくってくれた隣人。街の人たち皆が、この街でたった一人の日本人である私にまるで家族のように温かく接してくれたからだ。同時に彼らは、24時間365日仕事人間だった私の価値観を変えてくれた。
まず、自分の価値判断を大切にするということ。判断しかねる場面において、リーダーに「あなたが決めなさい」と言われ、戸惑った状況は数えきれない。私は今まで会社や上司が決めたことに従って仕事をしてきた。ただ逆を言えば、自分で考え、判断することを放棄していた。人の顔色ばかりを窺い、その人が嫌な思いをするくらいなら、自分がやろう、とかそんな価値判断しかしてこなかった自身を恥じた。
次に自分の時間を大切にするということを学んだ。定時になると同僚たちは私に帰宅するよう声をかけてくれる。自分の仕事が終わってなくても時間は厳守だ。なにも私だけではない。全員が定時に帰ることを心掛けている。そして帰宅後は皆、家族の時間やプライベートの時間に充てている。そのような環境のおかげで、私も就業後は英会話学校に通ったり、ジムでズンバというダンスレッスンを受講したりと、生活に変化が訪れた。ズンバは本場アメリカの大会に参加するほどはまっている。これほど、趣味の時間を持てたのは何年振りだろうか。
任期が終了まであと2週間。帰国後は仕事が山のように待ち受けているだろう。しかし、私は以前とは違うやり方で業務に取り組める気がしている。「ワークライフバランス」という武器を手に入れた今なら、もっと効率よく、そして自分の価値判断で仕事ができるはずだ。