【 入 選 】
老人保健施設で「介護士」をしている私だ。
帰路の途中だった。
「おばあちゃ〜ん、おばあちゃ〜ん」
ふと見ると、我が施設の利用者さんのお嫁さんの姿だった。
「どうしたんですか?」
「おばあちゃんが家からいなくなっちゃったの…」
焦っている表情が私にも伝わってきた。
(早くみつけてあげないと外が、まっ暗になってしまう…)
「じゃあ、手分けしてさがしましょう−」
ケアマネを呼び出し、自治会のメンバーにも声かけて、まずは散歩コース周辺をさがした。
数時間は経っていた。
「いたよ−、おばあちゃんがいた−−−」
地域の人が、おばあちゃんをみつけてくれた。その大きな声に、みんなが駆け寄った。
安堵した。
外は、暗くなっていた。
おばあちゃんは何もなかったのかごとく、キョトンとした様子。でも少しばかり震えていたようだ。
「だめよ!おばあちゃん、勝手にお家出たら困るでしょ、みんな心配したわ…」
お嫁さんは、おばあちゃんをきつく叱った。
「なあに…、おばあちゃんは、たんに散歩したかっただけだよなあ…」
ケアマネが、ゆっくりとソフトにおばあちゃんに語った。
おばあちゃんは、ちんまりと小さくなって
「はい…」
小さな声でうなずいた。
この「徘徊」を「散歩」に言いかえての、ケアマネの言葉の表現に敬服。惨敗した。散歩といいかえることで誰も傷つくことはなかった。おばあちゃんの自尊心を傷つけることなく、尊厳を重視。この心のケア、介護を知り尽くしたプロの技を私は目のあたりにした。
そして地域の人の協力に心から感謝した。今回、おばあちゃんを見つけてくださったのは、地域の人だった。
益々、高齢化でその数は確実に増える。
徘徊する認知症の人の安全は、家族がいくら頑張っても守りきれない。家族では防げない。事故は誰にでも起きる可能性はあるはずだ。
だからこそ「地域で守る」「支える」が必須。その実態を知り、問題を共有して患者本人と家族・そして地域や行政、警察の理解と協力が不可欠だと思う。
私は「人間杖」と思って理解している。人の杖になったり、傘となったりもしよう。
お互いさまの気持ちを持って徘徊する人の安全を守っていきたい。
それには家族に認知症を患った人がいるなら決して隠したり、抱え込んだりしないことだなあ。
「介護士」になって6年余りだ。当初は「入浴」「排泄」「食事」など補助の身体的介護ばかりにこだわっていた。今は少し、余裕でてきて心のケアも常に考慮しているつもりだ。
身体的介護、精神的介護のバランスとれてこそ初めて利用者の方に快適な介護が提供できることが理解するようになった。
利用者の方に一声、いっしょに行動するだけで表情は違ってくる。
「動かぬ右手でいっしょに豆腐を切ったり」
「あんた、どなたさん?と聞かれば、毎度、いつもの自己紹介」したり…。
私自身も楽しんで、お世話にさせていただいている。教科書では教えてくれない…。まずは利用者さんと接してわかることだ…。
幸運なことに私には帰宅すれば、難聴の祖母85歳と自宅療養中の姉がいる。すぐそばに教材があることに恵まれ、感謝している。
目下「ケアマネ」めざし勉強中。2回目の挑戦だ!