【 入 選 】

【テーマ:「世界と日本」海外の仕事から学んだ事/日本の仕事から学んだこと】
100万円と1cmの余裕
大阪府 Yui Sasaki Diaz 30歳

「彼女は、生き急いでるね」

小学校時代からの親友のお母さんが私の事をそう描写した。ただ、人生を無駄にしたくなくて一度に色々なことをこなしてきた。よくも、わるくも、私はずっと走っていた。

私が17歳になった瞬間、父が他界した。

それから、何が起こっても絶対に「家庭環境のせい」にしないと心に決めた。

昔からダンス、英語、アルバイト、国際交流、ボランティア、教師の免許取得、留学…色んなことがしたかった。部活には入らず、駅前でダンスを踊り、バイトは社員並みに働いて留学資金をためた。お金を使わないようにいつもポケットには7円しか入っていなかった。

毎日寝る時間は平均4時間を切っていた。大学には、親のお金で学ばせてもらっているのにサボってばかりの人がたくさんいた。幸い、私は英語の特進クラスに入れたので、たった14人の少人数クラスで素敵な仲間と学ぶことができた。授業も学ぶ事が多くて、さぼるなんて論外だった。私にはその忙しい日々が合っていたんだと思う。その日々をこなしている自分に自信がわいてきた。でも、同時にいつも緊張状態のため、少しずつ体力的・精神的に弱っていった。母は、頼ればドンと受け止めてくれることは分かっていても、自分の力で成し遂げたい。そうやって、見えない鎧をかぶり続けていた。

ある日、気づいたら体が震え、涙が止まらなくなっていた。いよいよ、限界がきたんだろう。それを見かねた母が、トントン。部屋の戸を叩いた。

「あなたが私に頼らないでがんばろうとしてるのも知ってる。でも、限界にきてるんでしょ。ダンス、英語、留学、バイトどれか1つやめなさい。もう、見てられない」

私にはどれも絶対にやめることはできなかった。人生がかかってた。でも、同時にこんなに母を悲しませている自分のふがいなさが許せなかった。
すると、見た事も無いものを母が私に差し出した。
100万円の札束。厚みが1cmにものぼる福沢諭吉のミルフィーユ。母はドスの利いた声でこう言った。「あんたが1つも欠かしたくないのは分かってる。だからせめて、この100万もって、バイトを減らして留学の夢を叶えなさい」正直、普段温厚な母がここまで腹くくって話をしてくれたことだけでずいぶん私の心は楽になった。私自身も、家計が苦しい中、母が100万円をやすやすと手渡すような人ではないのは重々承知。でも、この「お説教」と書いて「愛」と読む、母の行動はパンチが効いていて効果絶大だった。

私は、それからそのライフスタイルをやめることは無かったが、「病は気から」ちゃんと頼ってもいいんだ、という心の余裕が私を大きく成長させた。
その後、私はベトナムへ日本語教師として大学から1ヶ月派遣された。そこで、「スローライフ」を習得して帰ってきた。

私に足りなかったのは、時間と余裕だった。時間を生徒や、人との交流に充分につかうことが自分の何よりもの成長材料になった。生徒にダンスや日本語、落語を教えて、バイクに揺られて湖を見に行く。私は、大きく、それはそれは大きくなって帰ってきた。お母さん、ありがとう。あの時の一件が無かったら、私はつぶれていただろう。

私は現在、日本語教師として世界中から日本に留学してくる学生支援の仕事をしている。英語で会話できたり、生徒と心通わせたりできる今の生活は、私一人で培ったものじゃない。どう働くべきかを教えてくれた人がいたからだ。最近は、やる前から「予測される失敗」を恐れて何も踏み出せずにいる人がいる。簡単なことではないかもしれない。でも、心になにか「これ!」って光るものがあるなら飛び込んでほしい。いや、飛び込もう!あなたの行動は、あなた自身だけじゃなくて、思った以上に見てくれている人がいる。たった1cmの余裕ができるだけで、人生何十倍にも楽しめる。さあ、まずは親や周りに感謝を伝えることから始めてみよう。

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