【 佳 作 】
高校三年生の終わり頃。周りが次々と大学生になるのを、または大学生になるために努力するのを横目で見据えながら自分は突如決まった就職のためにせわしない毎日を送っていた。私はてっきり、勉強さえ頑張ったのなら叶いそうにない夢でさえ叶えられると信じていたし、その環境は整っているものだと思い込んでいたから、突如として閉ざされた夢への扉の前でしばらく呆然としていた。
高校三年生の冬休みに父親とフィリピンへ行った。私の父親はフィリピン人で、言うなれば第二の故郷へ里帰りをしたのだ。目的は父親の親戚に会うために。親戚は父親と同じフィリピン人だがカナダに住んでおり、留学をするための資金を出してくれると話していた。そう、過去形。実際に会って話をしたが、親戚の実の子どもでさえカナダの大学には学費が高額で行けなかったと言われ遠まわしに留学の話をなかったことにされ、私はそれ以上なにを言うこともできなかった。こうして私の夢は打ち砕かれた。
しかし私には挫けている暇もなく、高校を卒業してからも進路指導室に通い就職活動をした。辞書ほどに分厚い求人票をめくっていたらふと目に留まった、「バスガイド」という5文字が、のちのち私の仕事となる。単純作業は性に合わず人と接する職業に就くことが目標だった私は行ったこともない県に行ける、かつ給料がもらえるという魅力的な職業に思いを馳せ入社日間近に試験を受けて内定を貰った。良く言えば冒険家、悪く言えば向こう見ずな性格だと自分のことながら思う。入社してから今まで、何度辞めたいと思ったのだろう。というのも、思い描いていた理想とは少し違った毎日が待ち受けていたのだ。最初からバスに乗って仕事をさせてもらえるわけではなく、約2ヶ月の研修を経て挨拶や案内、バスのバック誘導などの基本教育のテストがありそこで合格をして初めて「バスガイド」として外の世界に出られる。泣いても笑っても時間は待ってくれず、覚えなくてはならないことは日に日に増えていく。テストに合格をした私は6月に入り初めてツアーの仕事に出させていただいた。初めてのツアーは惨敗。泣きそうになるほどだったのに、帰り際、お客様が笑顔で「頑張って素敵なガイドさんになってね」と声をかけてくださり、いたたまれない気持ちになったのを覚えている。ガイドの先生や先輩は口を揃えてこう言う。“お客様は頑張ってない子に頑張ってとは言わないよ。応援したくない子には声もかけない”はたして、それが本当だとしたら、私に出来るのは思いに応える事ではないのか。後ろ向きだった気持ちを前に向かせ、二度三度と仕事に出るうちに自分に対する課題が次々と浮上してきた。案内のタイミングや、お客様との会話の切り返しのバリエーションなどを真剣に考え出したら「もっとお客様に楽しんでもらいたい」そんなふうに思えるようになってきた。案内と言ってもすべて一度に覚えられる訳はなく、教本を読みながらになる。いくら場を和ませようとしても反応が返ってこない時もある。けれど一生懸命は伝わるのだ。うまく仕事をこなすよりもどれほど真心をこめて仕事ができるかが大事だと思う。私が想いを込めてお客様の前に立ちマイクを持つとお客様は笑顔を向けてくださる。私が実現したい仕事の夢、それは勇気づける立場になるということ。お客様の中には日常の疲れを癒すために参加される方もいるかもしれない。特別な日に特別な思い出を作りたいと思いたちお越しになった方もいるかもしれない。旅行には沢山の人の想いが詰まっている。もう少し正確に言うならバスには、そしてバスガイドには想いを運ぶ重要な役割がある。バスが帰着地点にたどり着く頃、お客様の想いは旅の想い出として形作られる。
お客様の言葉に頑張る源を頂いたように私も形のないプレゼントを差し上げられるような、素敵なバスガイドになりたい。