【 佳 作 】
中学生の頃、イギリス人の英語の先生に「将来の夢は何ですか?」と英語で問われ、一言「貯金」と答えました。「ワカリマセーン」と日本語で答えられ、すこし気恥ずかしくなったことを覚えています。
ちょうど中学校にあがった頃から、私は漠然と「お金持ち」を夢見るようになりました。そしてそのプロセスにおいて重要なことは、「もっとも効率のよい稼ぎの手段がどのような仕事であるのか」であると考えたのです。例えば起業家、投資家、IT企業の社長など、私の夢はそのようなものばかりでした。
お金にがめつかったというよりも、失業をなによりも恐れました。借金を嫌悪し、失敗を憎みました。子供を十分に養うことの出来ない親になりたくないというのが、本当の目標でした。それは実感(私の周りの大人は皆十分な稼ぎを得ていました)よりむしろ、社会に入ることへの不安によるものであったのでしょう。
そのように考えて過ごし、高校生になった頃、山中教授が、IPS細胞の開発により、ノーベル賞を受賞しました。そのころから、私の仕事観は転換点を迎えます。私は、その業績の偉大さと壮大さに、ただただ感動したのです。
そして、社会のあり方や、あるいは人間そのもののあり方をかえてしまうほどの大きな「ロマン」に、あこがれを見いだすようになったのです。
たった一つの研究により、おそらく何千万、あるいは何億という救われない命に、可能性が与えられたことでしょう。それは仕事でありながら、同時に、大きなロマンを追いかけるという営みです。
私は、東京大学に入学し、特に遊ぶこともなく、アルコールなしの、学業に満ち満ちた生活をしてきました。そしてそのような生活のなかで、断片的な「ロマン」を、たしかに見つけることが出来ました。例えば、がんへの特効薬から、副作用をなくすための具体的な課題、あるいは、がん細胞の遺伝子を書き換えてしまうことで、がんを死滅させるやり方の可能性、水から、多くのマテリアルを作ることが出来ること、脳波だけでものを動かすことが出来る仕組み・・・それは大きなロマンの可能性を内包しながらも、同時にとてつもなく現実的でした。これまで私が学んできただけのことで、それが実現できるものであると、十分理解出来るものばかりだったのです。
私はようやく、ロマンへとたどり着く船を前にすることが出来たような気がしました。目の前にはもう大洋が開けていて、旅立つ船は出航準備をしています。私は、その船にとび乗る選択をすることが出来ます。
そのようなロマンへの可能性を前にして、私は、自分のこれまでの仕事観をきっぱりと捨て去りました。どうしてそうしないことがあったでしょう?
私には、夢ができました。それは「仕事」としての夢でありながら、「人生」における夢でもあります。
私の夢は、がんへの治療法を、化学的かつ物理的なアプローチで実現することです。そしてそれを応用して、ありとあらゆる病気に対する特効治療を開発することです。具体的には、電磁波を利用し、がん細胞の中にあるテロメアーゼ(これがなくなればがん細胞は消滅する)を破壊してしまうことを考えています。もちろん、実現できるかはまだわかりません。そのためには、細胞増殖のプロセスに対する更なる理解と、物理的な実現方法を検討する必要があるでしょう。
それは「病をなくす」という、ロマンです。何に最もロマンを感じるか自分に問うたとき、「沢山の命と悲しみを救いたい」と答えました。そこに、大きな意味を感じたのです。
あのとき、おそらく私に呆れたであろう先生は、今の私をみてどのように感じるでしょうか?当時の私は、今の私をみて、どのように感じるでしょうか?
私たちは生きるために生きるのでなく、ロマンのために生きるべきなのです。
多くの偉人の生き様が、私にそうささやきます。
そしてそこに、仕事が生まれるべきなのです。
私は、強く、そう信じます。