【 佳 作 】
画面を見つめた瞬間、心が凍りついた。
「嘘でしょ?」
小さくそう呟いた。
私は現在、公的機関の窓口で嘱託職員として働いている。大学を卒業し、働くこと3年。あらゆるケースに対応するべく日々努力を重ねてきた。私が働く職場には、公的機関が発行するあらゆる書類を持ってお客さんがやって来る。扱う書類数は軽く百は越え、初見のことへの柔軟な対応や、過去受付した内容の記憶力が問われる。お客さんは、自分の書類を受け付ける以上、常勤かどうかなんて関係ない。責任ある対応が求められる。
あるとき、見たことのない珍しい書類をもってお客さんがやって来た。その人は、どう説明していいかわからず困り果てていた。私は知恵を絞り、あちこち問い合わせ、時間をかけて手続きを終えた。すると「ずっと困っていた。ありがとう」と涙を流し、何度もお礼を言ってくれた。
覚える量は多く、時にお客さんは無茶なことも言うが、いつも正面から向き合ってきた。感謝の言葉を言われる度に、やりがいを感じていた。3年間書き続けた対応ノートは、厚みを増してずっしりと重い。それを見る度、何が来ても大丈夫と自分に言い聞かせてきた。
仕事の合間、私は正規職員への勉強を進めていた。公務員採用試験の勉強のために、人によっては専門学校に一年通うそうだ。現に、周囲の職員はそうして採用されていた。私は仕事があるので独学を選び、仕事以外の時間ひたすら勉強した。
1回目に受けたときは、一次試験の筆記で落ちた。点数が足りないのはどうしようもない。仕事と並行していたとは言え努力不足だ。そこで、もう1年勉強を続けた。勉強指南本を読み、周囲にアドバイスを求め、勉強のやり方から変えた。その間に、私が落ちた試験に受かった職員が入ってきた。お客さんは相手が新入りかどうかなど関係ない。容赦なく責められる彼らのフォローも仕事のうちだった。
そんな努力を知っているから、周囲の人たちは受験を応援してくれた。参考書をくれた人、勉強に良い場所を教えてくれた人もいた。挫けていたら一緒に勉強してくれた人もいたし、過去の試験を説明してくれる人いた。家族も友人も仕事仲間も応援してくれた。
そうして臨んだ2回目の試験。筆記試験の結果発表の画面には、私の番号があった。一緒に見ていた同僚と喜んだ。協力してくれた人たち一人一人に感謝を告げ、次の試験に向け気合を入れた。
後の試験は2回の面接だ。「働ける人を採るためのものだから、もうすでに十分に働いているあなたが落とされるなんてことは、まずないよ」周囲は口をそろえて言った。
それでも緊張する。何せ3年分の思いがある。答え方によっては、面接官の気分によっては、落とされてしまうかもしれない。緊張で声が震えた。たった5分弱の持ち時間。それが………
画面は不採用だと告げていた。
動揺した私は、自分の仕事ぶりが悪かったのかと、上司に尋ねた。「人事が面接だけで評価しているはず。うちからは何も言ってない」
3年分の働きを、一切鑑みることなく評価したそうだ。そんなことがあるのだろうか? 他の人が聞いたら、私に何か問題があると思うのではないか?
「そんなことはない。あくまでその場の印象だけ」
私は、この仕事が好きで、今まで一生懸命やって来た。だけど、使い捨てでは雇うけれど、それ以上はないと言われたようなものだ。このまま任期満了まで、どんな顔をして働けばいいだろう?
嘱託職員は、窓口での対応件数が職員より多く、日々応対に追われている。私が急に抜けたら、その分の負担は同じ嘱託の人にかかってしまうだろう。そして、私のいる職場の嘱託は女性のみである。
この出来事を話すことで、これから次の仕事を探す上で、不利になるのではないかという不安がある。だけど、これから自分に誇りをもって生きていくために、声を発しても、大きな何かに飲み込まれず、前を向いて歩いていきたい。