【 佳 作 】
昨年10月、上司が退職した。
私が勤めている営業所は従業員5名と人数が少ない。そんな中、営業の中心を担っていた上司が退職したのである。25年間勤めてきた彼は、表向きには個人事業を立ち上げるという形で辞めたのだが、本当は上層部との確執が原因だった。公私ともにお世話になった私は複雑な感情で困惑した。
それからは怒涛の日々だった。人数が少ない分、残された社員1人あたりの負担が増えるのは当然のことだった。そんな中、業務の都合で私への引き継ぎは他の人よりも多く、考えることが増え、毎日夜遅くまで働いた。意識的に働いたというよりも、漠然とこなしていたという方が正しい。忙しさから人間関係がギクシャクし始め、段々とストレスが溜まっていった。ふと気付くと、愚痴や文句しか言っていなかった。辞めたいと何度も思ったが、全てをリセットしてやり直す勇気なんて少しも無かった。
そんなことを悶々と思いながらも半年が過ぎたある時、日頃からお世話になっている取引先へ訪問した。いつも親しくさせて頂いている社長と話をしていると、「最近、元気ないね。どうしたの?」と言われた。「最近、忙しくて」の一言で終わらせようとしたが、話をしていく内に我を忘れ、不満や不安を包み隠さず話していた。
相槌を打ちながら話を聞いていた社長。一段落した時に、「君が日々やっているのは業務であり、では仕事とは何だろう?」と訪ねてきた。一瞬、「利益を出して、会社を成長させること」なんて考えたが、そんな表面的なことでは無いことぐらいは察しがつく。私はその質問に答えることができなかった。
すると社長は、穏やかな口調で自分の経験談を話し出した。会社を立ち上げた経緯から、人に裏切られたこと、とんでもない失敗をおかしたこと、資金が回らなくなったこと。成功話よりも苦労話の方が多かった。そして、「自分が困った時には、いつも周りの人に助けてもらった」と。
「僕は経験から、人と人とのつながりを深めることが仕事だと思うようになった。お客さんにはもちろん、周りの人にどういう影響を与えられるかも大事だ。君がこれまでに得た経験をどう活かすか。仕事を通じて、自分の人生をどう生かすのか。それを考えてみたらどうだろう。」
“自分の経験をどう活かすのか”
“自分の人生をどう生かすのか”
禅問答のような問いに、ハッとさせられた。
決して1人では成り立たない会社で、全てをこなしているような気分になっていた。周りのことが見えなくなり、自分のことだけしか考えなくなっていた。
社長が困ったときに助けてもらえたのも、助けてもらえるような関係を築いていたからだろう。
では、今の自分にはそういう関係性の人はいるだろうか?
いないと思った。自分のことしか考えず、周りの人の文句を言っているような人間を、私自身は助けたくないと思った。私は器の小ささを恥じ、自分本位の考え方を反省した。でも同時に、肩の力がスッと抜ける感じがした。
次の日から、私は働き方を変えた。早朝に出社し、やるべきことを早めに終わらせ、時間を確保するようにした。他の人を出来るだけフォローし、お客さんともこれまで以上の関係を築こうと、人と会う時間を増やした。すると、少しずつだが周りの雰囲気が良くなっていく感じがして、徐々に充実した1日を過ごせるようになってきた。もちろん苦労もあるが、もう少し頑張ろうと思えるほど、気持ちの受け皿が広くなっている自分がいた。
様々な職業があるが、仕事の先に“人”がいるということは共通している。人と人との間に自分が生かされ、仕事という潤滑油で関係性を深めていく。自分に出来ることは限られているが、少しでも誰かの役に立てたら、自分を活かせているのではないか。そして、その積み重ねで良い人生になるのではないか。感謝の気持ちを忘れず、未来へ歩んでいこうと思う。