【 佳 作 】
僕はこの春、地方公務員になった。この職場に勤めてもうすぐ4か月となるが、折々に感じるのは、業務の教え方が伝統芸能のそれに似ているということである。つまり、僕の担当する業務について初め全体像が示されず、一局面ずつ先達の職員からの口伝により経験して覚えるべしという習わしのようなのだ。マニュアルはあるにはあるが、とても素人向けではない。経験者が経験者向けに書いている。
いわば、仕事や組織が「経験と記憶」に多くを依存して成り立っているのである。
このような性質は、現代の日本社会のあらゆる方面に潜んでいるのではないか。仕事とは「それぞれの職場のしきたりや作法を体得して従来通り繰り返すこと」ととらえ疑わない人が、実は大多数なのではないか。
それは古式ゆかしい伝統芸能などの世界にふさわしいスタイルである。現代社会のビジネスにはそぐわない。仕事の焦点が様式に置かれてしまうと、悪しき形式主義や前例踏襲を生み、また同一の仕事を長きに渡って続けてきた人が偉いとするヒエラルキーを生み、新参者は経験が無いからとして軽んじられる。これは多様な生き方を認める現代の社会の方向性を妨げる要素だ。
ではどのような変化を加えられるか。“伝統芸のようだ”との印象から、僕は次のような発想を得た。
昔から、本格的な料理というのは、名人からの直伝で習得するものとされていた。しかし今の時代、昔なら名人芸とされていた料理も、Webのレシピサイトでレシピを検索すればそれを見ながら素人でも作れる。昔は飲食店には熟練の料理人が不可欠だったが、いま一般の飲食店は合理化されたレシピを活用することでアルバイトが上々の料理を提供できる。
このように、あらゆる職場で初心者でも仕事のプロセスがすんなりたどれる「仕事のレシピ」を作っていってはどうか。上から規定される「マニュアル」とは異なり、素人目線で現場のメンバー自らが作り改善していく「レシピ」だ。これが充実していけば、より多くの業務が経験と記憶を要せずともこなせるようになり、働く人はその分仕事の本来のあり方に向き合えるようになる。
「働くってなんだろう」。仕事のしきたりや作法を見習って体得し、その通り繰り返すことか。いや、それぞれの仕事のミッション遂行のために、自ら考え最適な方法で動くことだ。
例えば行政事務という仕事ならば、「担当の業務を従来通り繰り返すこと」ではなく、「住民や地域社会の福利のため行政の仕組みを円滑に運営すること」となろう。接客業なら、「適切なマナーで商品やサービスを提供すること」ではなく「お客様のニーズやウォンツを満たすこと」だ。
働く人が目先のしきたりや作法にとらわれず、自分が携わるビジネスの意義に思いを至らせるためには、仕事の手続き的なノウハウは最小限の手間で習得できるようデザインされなければならない。伝統工芸のごとく先達からの口伝を受け経験によって身に付けるというのは現代的なビジネスにおいてはナンセンスだ。
それぞれの職場で前述の「仕事のレシピ」が普及すれば、業務の習得・引き継ぎ・代行が容易になり、仕事のパフォーマンスが向上するとともに、仕事の本来のミッションを考えそのために改善策を講じられるようにもなるだろう。それは個々人の思考力や創造力を引き出すことであり、本人にとってはただ作法通り動くことを求められるよりもモチベーションが上がるはずだ。
そしてこれは、現代社会のテーマであるワークライフバランスやダイバーシティとも符合する。業務の引継ぎや代行が円滑化すれば休みも取りやすくなり、特定の人への業務集中も避けられる。若者・転職者・異動者・非正規社員などにとって働きやすい環境ともなるだろう。
経験は確かに大切だが、それが全てではいけない。僕はこの職場での真の仕事として、素人視点を活かした「仕事のレシピ」を作ることに着手している。