【 佳 作 】
「お前たちならまだ、ここから抜け出せる」そう言って父は、私に大学進学を勧めた。いい大学に行けばいい会社に入れる。いい会社に入れば、いい人生が待っている。あの頃は、本気でそう思っていた。
大学3年生の終わり頃、就職活動が始まった。「いい会社」に入らなければならないと思っていたので、大手企業を中心に面接を受けた。「会社に入ってやりたいことは何か」と聞かれても、「やりたいこと」なんて考えたこともなかったので、何も答えられない。面接を受けるうちに、自分は何も知らずに生きているのだと気付いた。ある程度名の知れた大学卒業の肩書を持って面接を受けたら、人柄さえ問題なければ簡単に採用されるものだと思っていたのだ。内申を引っ提げて受ける高校や大学の推薦入試のように。それまでの人生で考えたこともなかった、「何をやりたいか」という問いの答えを、簡単に見つけられるはずもなく、私は途中で就職することを諦めた。
「東京の有名な大学に行けば、苦労することなんてないと思ってたけど、そうか、甘かったのか」そう言って父は、残念そうに笑った。学費はもちろん、東京での一人暮らしをさせる余裕なんて、実家にはなかった。奨学金を可能な限り借りた結果、800万円の借金が残った。いい大学に行けば全てうまく行くと思っていた私たち家族にとって、まさか就職するときにもう一度壁にぶつかることになるなんて、思いもよらないことだった。
「世の中には、知らなければならないことがたくさんある。知るべきことを知っているかどうか、ただそれだけで人生は大きく変わる。だから君たちは、たくさんのことを学ばなければならない」高校生の頃、進路指導の先生が言っていたことを思い出した。単純に、私は学びが足りなかっただけだ。知るべきことを知らなかっただけだ。もっと早く知りたかった。見積もりの甘かった両親を責めても、世間知らずの田舎を恨んでも、私の今までは返ってこない。自分の人生なのだから、責任は自分でとらなければならない。知るべきことを知らない人はたくさんいる。そういう人の力になりたい。そんな気持ちで、学習塾のアルバイトを始めた。
東京で生まれて東京で育っている子どもたちだから、あの頃の私よりは現実を理解しているはずだと思ったけれど、そうではなかった。塾へ来るお母さんたちのほとんどが、「大学くらいは出ていないと」と言う。何のために大学へ入るのか、何のために勉強するのか、「いい人生」とは何なのか、考えたことのある子は少ない。むしろ、ほとんどの子がそれらを考えることを拒否しているように感じる。たぶん、私もそうだったのだろう。両親に言われたこと、学校の先生に言われたこと、それらを全部そのまま信じて、言われたことだけを実行していれば楽だったから。言われた通りにやってきた。だけど、それだけでは足りないのだということを知っている。知っている以上、私にはそれを伝える義務がある。
縁あって講師ではなく教室を運営する側になってからもうすぐ5年が経つけれど、私はまだまだ義務を果たしきれていない。自分の人生をどうしたいか、それを知っているのは自分だけ。自分自身が選んでいかなければならない。だから私は仕事を続ける。毎日学びながら、知るべきことを知りながら、そしてそれを伝えながら、1人でも多くの子が強く生きていけるように。