【 佳 作 】
青果市場の朝は、真新しい空気と活気に満ち溢れている。
競りが始まると、仲買人である私の母の表情も凛々しくなる。競り人の声が飛び交う。
一気にヒートアップする場内は、夏休みにしか体験できない熱気に包まれる。学生の私には、とても新鮮だった。次々と、母の右手が競り落とす瞬間は、ドキドキした。年季の入った台車に、メロンやスイカ、ナスにトマト、真っ青なリンドウに、白とビンクの菊の花を順番に重ねる。土台がしっかりとしていれば、高く積み上げても崩れることはないと、母の手が教えてくれる。前も見えないくらい高く積まれた台車。駐車場に停めてある車まで押すのも一苦労だが、行き交う人達に道をゆずってもらう。すると、周りを見ることの大切さにも気づかされる。汗を流し、ニコニコ笑って仕入れをする母。毎日同じ仕事のはずなのに…。こんなにも楽しく働く母の姿を、私は知らずにいた。働くってことは、楽しいことだと思って、私は助手席のシートベルトをしめる。ハンドルを握りしめる母と車で移動しながらの商いがスタートする!
海沿いの道路をどこまでも進み、目指す商い先は何ヶ所もある。手前から順番に足を運び、目的地に到着すると路肩ギリギリまで車を寄せて、カセットテープのスイッチをONにする。演歌が何曲か入っていて、今日は与作がお客さんを呼んでいる。母が、音楽を止めてマイクを手に取り、
「メロン、スイカ、玉ねぎ、じゃがいも、人参、バナナ、花は…いかがですか?」
と朝の仕入れ状況を思い浮かべながら話す。
お客さんである、おじいちゃん・おばあちゃん達が母の声に集まってきた。車から降りると、
「まいどーさん!」
とお客さん一人一人の顔を見ながらの商い。
今日の気分を聞きながら、今何を求めているのか、その人が欲しい分だけを袋に詰めて、
「まいどーさん!」
と母は手に持たせていくのだった。
お客さんの心に寄り添っていく商い。足腰の弱い人がいたら、家まで喜んで配達をする。
心も一緒に積み重ねていく日があった。
今は、生活も便利になって困らないことが多くなり、小さなものが大きなものに飲み込まれて、消えて見えなくなってしまったものがある。この先、何を求めていくのだろう?
現に商いは、便利になりすぎて不便になったものを大切にしながら、この時代を生きている。が、お客さんあってこその商い。過疎化と高齢化に拍車がかかり、苦しい現状だ。
それでも、まいどーさん!に込めてある。
毎度、ありがとうございます!は、今も変らず待ってくれているお客さんの気持ちと、先代のひいじいちゃん・ひいばあちゃんが、食(職)を通し、人と関わることで見えてきたものを大事にして働く思いがあった。
母は、この道一筋37年。体の節々に痛みはあっても、働けることが嬉しいと喜ぶ。
でも、私は知っている。眩しくて車のサンバイザーを下ろすと、そこには無邪気に笑う幼い私と妹の写真があった。先代が引退して、母は一家の大黒柱として働いていたが、仕事が楽しくて笑っていたのではなく、仕事に子育てと、家族を支える自分を奮いたたせるように、この写真を眺めて頑張っていたことに気がつくと、私は切なくなった。母一人外で働くから、家のおばあちゃんの店で美容師をする私は、最期までひいばあちゃんの介護をサポートできた。働き方を決めたのが自分である以上、辛くても苦しいとは思わなかった。
母がアレンジした籠いっぱいの向日葵を持って、デイサービスの訪問カットへ行く私。
お客さんが花を見て喜ぶ。その笑顔を引きだせるように、まいどーさん!の気持ちで働きたい。私らしく、今日も頑張ろう☆