【 佳 作 】

【テーマ:私が実現したい仕事の夢】
私の夢
沖縄県 根神祥子 30歳

「安定しているから公務員になりたい」
地元沖縄で個別指導塾の塾長になって早2年。その言葉を聞く度に「またか…」と心の中で小さく溜息をつく。

公務員になることが悪いと言っているわけではない。

ただ、その時の生徒の表情は何かを諦めてしまっている時のもので、
「公務員って学校の先生も警察官も、省庁の官僚も市役所の職員もあるけど、どれがしたいの?」
と聞くと、大抵
「一番楽になれるもの」
「給与がいいならどれでもいい」
と返って来る。

大学受験を機に気付いたことがある。沖縄は地元志向が強く、県外進学を止める親も未だに多い。鹿児島からでもおよそ650q離れており、確かに他県の県外進学と感覚は大分異なる。気軽に会いに行ける距離ではない。しかも私学に通わせるとなると授業料が高い。生活費もかかる。沖縄では同じ仕事をしていても給与は東京の2/3も無い。だから浪人してでも県内で進学して欲しい。

ところが沖縄の私立大学には理系学科が1つもない。国立の琉球大学に行けないのであれば、県内に残る=文系に転換するという図式。数学が得意だった友人が日本語学科や経済学部、英米学科に進学していくのを見て子供心に「可哀想だな…」と思った。18になった時点で大半の子は一定の学力がなければ何かに抜きん出ていても好きなものを諦めなければならない。それが沖縄の現実。

同様に教育業界に入ってから気付いたこともある。沖縄の高校入試の問題点だ。内申点と当日点の比率が1:1、内申点の学年比も1:1:1。中1でつまずくと殆ど取り返しがつかない。逆に当日点が多少低くても真面目でコツコツ取り組んでさえいれば上位校に入れてしまう。しかし入ったはいいが当日点が低かった子は学力が追いつかない。上位校は県外国公立に進学させることに重きをおいているので、ついていけない子のフォローは後回し。結果、優秀な人材は県外に流れ、就職口が少ないので地元に戻って来るのは少数。中学3年生の時点で「心を入れ替えて今から努力すれば逆転できる」というチャンスは無い。そして真面目だけが取り柄だった子ほど高校入学後に周囲との学力差に驚き、自信を無くす。

子供たちが諦めることに慣れてしまっているのにはもう一つ理由がある。前述したように平均年収は日本国内で最も低い。物価はと言うと、外食は安いが、食料品は決して安くない。県外からの輸送コストがかかる分、品物によっては大阪より高いものもある。家賃も年々上昇。電車がないので自家用車がないと話にならない。だから車はローンを組んででも購入。生活に余裕がない。外食やレジャー、教育費に回すお金があるのは一部の家庭だけ。大抵の家庭では親子間で「お金がないから無理」という言葉が日常的に使われる。「お金が無い=諦める」。いつしかそんな思考回路が出来上がる。

大阪で塾長をしていた時に好きだった「将来の夢は何?」という問いかけは沖縄に来ていつしか「将来の夢、ある?」という言葉に変わってしまった。幼い頃から「あれはダメ」「諦めなさい」「無いものはしょうがない」こんな言葉に囲まれて生活している子供達。親が一言「別の方法を考えよう」と言ってあげられたら彼らの人生は変わるのに。私立大学だって給付型の奨学金を置いているところは多い。本当にしたいことがあるのであれば、生活費の為にアルバイトをしてでも通えないことはないはずだ。諦めることに慣れすぎて沖縄の子供達は自らの可能性を捨ててしまっている。

子供が夢を熱く語れないような社会に明るい未来はない、と私は思う。そして夢を語れる環境を整えてあげるのは私たち大人の役目。だから私は「個別指導の塾長」という職業を通して、一人でも多くの子供達が明確な夢を持ち、その為に努力出来る環境を作っていきたい。そして沖縄の教育業界の不条理を是正出来る人間を自分の教室から輩出するのが目下の最大の目標だ。

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