【 佳 作 】
女性の社会進出に伴う問題として大きく取り上げられていることの多くは、妊娠・出産に関する項目だ。しかしながらもそれ以前に、女性には毎月、出血を要する生理周期が存在するという事実が軽視されている傾向にあると私は思う。現在までに生理休暇を採用している会社はまだごく少数で、当の女性達でさえ、世間の目や男性への遠慮、会社に申し訳ない、出世が遠のくなどの理由から、利用していない、またはしにくいという実状にあるらしい。仕事を頑張りたい、男性と同様に働きたいと思うのは、女性とて同じだろうにと、私は納得できずにいる。
学生時代から換算して幾度となく、生理を理由に仕事を休んだ経験が私はある。生理の痛みは個人差のため、同じ女性にも理解されないことがままあった。そして、このようなことが毎月続いてしまえば、待っているのはいつも解雇の二文字だった。無論のこと、幾つもの婦人科を訪ね、自分自身で可能な対処法を講じてきたが、やはり限界はある。病気や障害と診断されなくとも、つらいものはつらいのだ。生理中の期間だけでなく、私の場合、前後の諸症状にも悩まされる。鎮痛剤や安定剤では乗りきれず、普通の仕事には就けないと悟ったことも同時期だった。女性ゆえに男性のようにはいかないことがあることも、世間には知ってもらいたい。
私はたまたま、物を書くという能力に恵まれていた。だからそれ以降、いや学生時代のアルバイト経験より、会社で雇用されて働くのではなく、自分で仕事を取る自営業(自由業)に就こうと漠然と考えていたのである。そもそも自由に働けるのであれば、毎月のつらさを前に臆する必要はない。せいぜいその時期が重ならないように、仕事を調整すればよいのだ。締切りなど、どうしても働かなければならない時であっても、家にいる以上はなんとかなる。具合が悪くなったら、すぐに横になれる。さらに頭には熱冷ましのシート、下腹部には温湿布に腹巻き、化粧なしヒールなしでも、PCに向かって文章を打ち込む業務であれば、誰かが構うことも朝の仕度で手間取ることもない。ただ、それはフリーライターという職に就く私だから許されていると言っても過言ではない。またそのような自由と引き替えに、安定を差し出していることも事実であり、収入面においては正規・非正規問わず、毎月の苦痛に耐えながら働いている女性達には到底、及ばないだろう。つまり働き盛りの年齢にいる私達女性は、妊娠・出産含めた己の身体を考えた場合、どちらかしか手にすることがほとんど永久的に適わないのである。
働き方が多様化された昨今、女性にしかできない仕事とはなんだろうと考えることがある。なぜなら、それこそが妊娠・出産するための定期的な生理に起因するからだ。時代が変化するにつれ、男女平等という概念が生まれ、女性も対等に仕事をするべきだ(させて欲しい)と未だ国会で議論されるほど、選挙ではどこかで必ず公約に掲げる政党があるほど、しばしば唱えられる。しかし、そこに男女の身体的構造がいつの間にか除外されていることに留意されたい。
私自身、自分の力が必要とされる仕事で働き続けたい女性のひとりなので、女性の社会進出へのこうした動きを根底から批判する気はないが、どうも権利や義務ばかりが先行してしまっていると思えてならないのだ。女性のためのあらゆる制度が生まれるも、本当に女性のことを慮るのであれば、本当に女性の力が発揮される環境作りがいちばんに大切なのではないだろうか。「女性なのに」「女性だから」という否定的な言葉で終わることなく、「女性にも関わらず」「女性だからこそ」という肯定的な言葉が広がっていくことを今、私は願っている。