【 佳 作 】

【テーマ:女性として頑張りたい仕事・働き方】
世界をまたにかける女になる!
東京都 KUMIKUMI 34歳

私は世界をまたにかける女になって、海外で活躍できる人になる!だからと言って、プライベートをないがしろにはしない。事実、私には素敵な旦那様がいる。まだその状況ではないが、出産も育児も諦めるつもりはなく、仕事もするのだ!

こう考えるようになったのには訳がある。私は、ここ数年海外に出る事が多くなった。昨年は主人の仕事の都合で中央アジアのタジキスタンに滞在した。タジキスタンは中央アジア最貧国で日本人が一説によると、99.9%行かない国らしい。

日本人は物珍しいらしく、鼻ぺちゃで平たい顔の私がマーケットに行くとじろじろ見られたものだった。それでも、私がマーケットに行くと優しく出迎えてくれてタジク人はおまけすらしてくれた。屈託のない笑顔で優しくしてくれるのだ。彼らは、相互扶助が自然と身についていた。道に物乞いの人がいれば、ポケットからコインを取り出し寄付していた。ちなみに彼らの平均所得は月々2万にも満たないと言われている。自分自身の苦しい状況であっても、その中で自分が出来る事をし、見ず知らずのものを助けていた。

またタジク人に日本人だと言うと、「日本は最高だよ!この商品も日本製なんだ!」と嬉しそうに見せてくる店員は、日本製の商品を扱っていることに誇りすら感じているようだった。私も日本の技術、品質の良さ、職人気質を持ち合わせている日本企業、すなわち日本人であることを嬉しく思った。

しかしそんな彼らを見ているうちに、私は一体何が出来ているのかと疑問に思う様になった。タジク人の様に、人を助けることもない。助けると言ってもそれは、自分の周りの大切な人に限ったことで、相互扶助とはほど遠い。かと言って日本人として、職人気質を持っているのか、仮に持っていたとしても私は発揮しているのかと言われると答えはNOである。つまり、何も社会に還元していないのだ。海外に出ているから、主人の転勤で転勤妻ですと言うことも出来る。事実、言葉もわからないタジキスタンで不自由を感じていたがそんな時助けてくれたのは、日本人妻の人達だった。私は彼女達のお陰で色々助かったし、彼女達は家族のサポートを生業として一生懸命過ごしていた。彼女達を否定するつもりは全くない。ただ、私は、何か目に見える形で社会に還元したいのだ。

主人と離れる事なく出来る仕事と制約はかかるものの、私は色々考え主人とも話し合い、夢が出来た。国際栄養のスペシャリストになって、世界の人々の役に立ちたいのだ。元々栄養士養成の短期大学を卒業後、保育士として働き始めたためだ。経歴としては、保育が長くなるが、食べる物もままならない途上国では、保育の前に生に直結する食事が重要であるという観点からである。

今私は大学4年生である。タジキスタンから帰国後大学に編入した。そして、来年から大学院にて、国際栄養を学ぶため準備中である。中には、いい年なんだからとか、絶対無理だよなどネガティブなアドバイスをくれる方もいる。しかし、それはその人達の価値観で私にとって最良だと思うアドバイスをくれるのであって、本当にそうであるかは私次第である。親身になって下さった事には感謝し、自分にとってやる気をくじくものだったらそっと放っておく。自分自身だって自分のことわかってない事があるんだから。

今がこれからの人生で一番若いのである。諦めたらそこで終わりだし、100の言い訳をしている暇があったら、1の行動がいい。

やれる、できる、大丈夫!頑張る!

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