【 佳 作 】

【テーマ:女性として頑張りたい仕事・働き方】
たとえ天使はいなくとも
神奈川県 鷲崎亮 35歳

スポーツニュースで、「なでしこ」という言葉を耳にするようになって久しい。昨今の日本人女性アスリートの世界的な活躍具合からすれば、その言葉は、元来の大和撫子とは異なり、第一線で溌剌と活躍する女性との意味合いが色濃くなって来たように思える。

私の妻は、自らを「なでしこ」と名乗ることはないが、小学校の低学年から抱き続けてきた看護師になるという夢を叶え、結婚や出産を経てもなお仕事を続け活躍している。夫婦共働きの上、二児の母ともなると流石に育児と仕事の両立は難しくなり、今は病棟を離れて夜勤のない落ち着いた環境で彼女は働いているが、時折ぽつりと第一線での看護の仕事が恋しいと漏らしたりもする。

看護師から連想される言葉と言えば、やはり白衣の天使。誰しも弱っていれば、慈愛に満ちた笑顔で優しく接して欲しいものだろう。しかし、そのことを彼女に伝えても、「白衣の天使なんて、いるわけないじゃない」と、呆れ顏で一蹴されてしまう。彼女に言わせれば、看護師は仕事で手一杯のため、愛想を振りまいている余裕はないのだそうだ。

20歳を過ぎてまだ幾年も立たない頃、彼女は晴れて看護師となり、総合病院の消化器系の病棟で働き始めたが、その労働環境は決して楽なものではなかった。三交代制で不定休。右も左もわからない状態でも患者は待ってくれず、一つのミスが人命に関わるため上司や先輩の指導も非常に厳しい。少ない人数で大勢の患者に対応しなければならない。中には気難しい患者やその家族もいる。病状の急変もあれば、もちろん目の前で亡くなる患者もいる。

そのような毎日繰り返し訪れる高いハードルに苦しみながらも、彼女はまさに全身全霊、喜怒哀楽を全て引っさげて、何とか前に走り続けているように見えた。休日ともなれば、給料が安いとか、心身ともに限界とか、もう仕事辞めたいとか多種多様な愚痴をこぼすこともしょっちゅうで、そんな彼女の姿は、第一線で活躍する輝かしい女性という美麗字句から想像される優雅な印象とは、遥か別世界のものだった。

一体、彼女の仕事に対する原動力は何だったのだろうか。

その病院では、亡くなった患者が病室から運び出される前に、看護師が死化粧をしていたそうだ。日常生活では遺体に触れる機会などそうあるものではく、ましてや家族でもない者の遺体であれば進んで触りたいものではない。その時どのような気持ちで行うのか、彼女に尋ねたことがあった。てっきり、「やりたくない」とか「気持ち悪い」という返事なのかと思いきや、彼女は少し首を傾げてこう答えた。

「担当していた患者さんだから悲しいのだけど…、最期まで頑張ったねとか、お疲れ様でしたとか話し掛けながらかなぁ」

そこには、多忙で過酷な環境下にあっても決して忘れることのない、看護師としての純粋な精神があることを私は悟った。たとえいつも輝いていることは難しくとも、その精神があるからこそ患者は安心でき、彼女もいかに辛くても今日まで仕事を続けて来ることができたのだろう。私たちが夫婦となり十年の月日が流れたが、性差や年齢に関係なく、嵐の中にあっても大切な方位磁針を見失うことのない彼女から、私は多くの大切なことを学ばせてもらった。私は、同じ働く人間として彼女を尊敬するとともに、彼女が弱音を吐く時には今後も支えていきたいと思う。

先日家の掃除をしていた時、彼女がその病院を退職する際、患者と一緒に撮ったという写真が出てきた。ベッドに横たわる老女の隣で屈託なく笑顔でピースサインをする彼女。仕事では辛いことや苦しいことは山ほどあり、泣いたり怒ったり落ち込んだりする姿を私は見続けてきたが、写真の中の彼女はそんな苦労の欠片は全く見せず、まるで白衣の天使のように微笑んでいた。

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