【 佳 作 】
「迷惑ばかりかけてすみません」
Aさんは泣きながら言った。
「最期まで責任持つから大丈夫って言ったでしょ」
「すみません、すみません……」
Aさんは、ベッドに横になって背を向けたまま何度も繰り返した。
翌日、Aさんは亡くなった―
ある日、Aさんの知人の方から、Aさんのケアマネージャーを引き受けてほしいと相談を受けた。
職業倫理に反するが、私的な感情によって、心の底から嫌だった。
Aさんとの出会いは7年ほど前だった。当時、ホームヘルパーとして働いていた私は、Aさんの介護を行うこととなった。
Aさんは理不尽なことでよく怒った。車いすで一緒に外出した時、近所の方に、
「あんた、ヘルパーさんのお世話になってんのか?」
と言われ、それが屈辱的に感じた様だった。そして、それは怒りとなって私に向けられた。
「お前のせいで恥をかいた! 二度と来るな!」
Aさんへの支援は中止となった。しかし、同じアパートには別の利用者が居住しており、そこへの訪問は続いた。Aさんは私のことを見つけると、一目散にやって来て怒鳴った。
「お前には恥をかかされた」
と、何度も何度も会う度に……。
そんなAさんからの依頼を受けたいと思う理由など無かった。
「まあ一回話聞いたって」
その場は断ることはできず、渋々ながら一度自宅に伺うことにした。
「お久しぶりです」
Aさんは別人の様に笑顔で迎え入れてくれた。久しぶりに見たAさんは弱々しかった。
体力が落ちAさんの外出機会が減ったこと、私がAさんを見掛けても気づかれない様に避けていたこと、その二つの理由で久しく会うことはなかった。
「あの時はすみませんでした。ケアマネージャーになったんじゃな、是非わしの担当をお願いできんかね?」
あの時の我がままなAさんの記憶が脳裏を過ったが、やせ細ったその人を目の前にして断ることなどできなかった。
「はい、僕で良ければ……」
その日から、幾度となく事務所の電話が鳴った。Aさんからだ―
「買い物頼みたいんやけどヘルパーさんを手配してくれんかね」
「しんどいから、ちょっと来てもらえんかね」
この様なことが毎日続く為、これまでの事業所はお手上げ状態だったのだろう。
確かに度を越して電話が鳴り、無茶なお願いばかりをしてきた。しかし、以前のAさんよりも確実に弱っており、日常のお願いさえも心の叫びの様に聞こえた。
それから数カ月が経った。Aさんは相変わらず毎日の電話を繰り返していた。
Aさん自身の身体に大きな変化があった。肺癌が見つかったのだ。それも末期状態の。
その事実を知り、Aさんは心身共にさらに弱っていった。電話をかけてくる回数さえ減った。
「わし、ケアマネを変えようと思うんじゃが……」
ある日、自宅を訪問すると小声でそう言った。
「なんでですか?」
「迷惑ばかりかけて申し訳ないから」
神妙な面持ちだった。
「きっと、Aさんのケアマネは他の人では務まりません。僕自身も他のケアマネに任せるのは心配です」
Aさんは笑みを浮かべた。
「そこまで言ってくれるなら、任せて良いんじゃろか?」
「責任持って最期まで担当します。約束です」
Aさんの安堵の表情が印象的だった。
Aさんは最期まで私に対して申し訳ないと感じていたと思う。以前のことがあったにも関わらず、お世話をしてもらっていることに対して。それが亡くなる前日の「すみません」という言葉だったのだろう。
Aさんとの関わりで、継続して働くことの大切さを学んだ。もし私が退職していたら、Aさんと再び出会うことはなかった。
最初は迷惑に感じていた日々の電話。
孫ほどの年齢の私に対し、そこまで頼ってくれたことは逆に有難く思えた。不安なこと、困ったことがあった時、きっと私のことを思い出して受話器を取ったに違いない。
周囲の人達からは「大変な利用者」と見られていたが、私にとってAさんは、思い出に残るとても素晴らしい経験をさせて下さった方である。