私が「仕事から学んだこと」といって思いつくのは、約2年半やってきた部活で学んだことです。仕事というのは働いてお金を稼ぐということかもしれないけど、私の今の部活は近くの乗馬クラブを借りて部活をしているので、乗せてもらう代わりに、乗馬クラブでの馬の管理や他の作業などの仕事を手伝ったりしています。月、火曜日休みで、学校のある平日は学校が終わったらすぐ約3キロ離れているクラブへ行き騎乗練習と作業をします。そして休日・祝日は必ず朝7時には部活が始まり、当番の時は夕方まで一日中馬のお世話をします。きっと家にいるよりもクラブにいる時間の方が長かった気がします。そんな部活で学んだことはたくさんあります。
まず、「あいさつ・お礼」です。これはもう社会に出たときに常識となります。朝きた時まず始めにあいさつから始まります。そしてクラブの会員さんへのあいさつ、接し方を注意し生活しなければなりません。会員さんは、簡単に言えばクラブのお客さんです。私たちは部活ですがこのクラブは一社会です。部活をしているときは、社会に出ていると思っています。それと練習の終わった後のお礼も大切にしています。
もうひとつは、動物と関わる仕事だから学べたことです。私は2頭の馬の死をみてきました。厩舎に転がったよく知っている馬がもう二度と起きあがり、馬場で走ることはないのかと実感したとき、悲しみと一緒に大きな死の恐怖を感じました。昨日まで、ここにあった命が、知らぬ間に亡くなっていたかと思うと、人も馬も、命あるもの全て、生きていることは当たり前ではないと実感しました。そして今日ある命も明日あるとは限らないということを学びました。
ですがそれ以上に感じたことは、馬の死体をどう処理するかということです。馬は人よりも数倍大きく狭い厩舎に倒れているものを人の手で運ぶのはとうていできることではありません。私が見た現実は、トラックについている大きなワイヤーを首や足に巻き付けずるずるとトラックの中まで運ぶのです。そしてそのトラックには産業廃棄物とかいてありました。死んだ馬は産業廃棄物となるのです。私は衝撃をうけました。そして悲しくなりました。産業廃棄物とは人間が出した、不要になり廃棄の対象となった物及び既に廃棄された無価物を指します。馬は人にとって商売道具です。馬の仕事をしている人からしたら、悪く言ってしまえばお金を稼ぐ物なのです。そして使えなくなってしまったそれは「無価値」なのです。それはどうしても変えられない事実です。例えば競馬などで転んで骨折した馬はもう走れないと判断したらその場で注射をうち、安楽死として処分されています。それが現実なのです。動物と関わるというのは、そういう裏の部分からも目をそむけないこと。それが私の学んだことです。
そして命を大切にするということです。馬の体調を常に管理し、少しでも異常があればすぐ対処することです。
この仕事はたくさんの命を預かっている責任の必要なものです。この部活に入り、苦労したことはたくさんあったけれど、他の部活ではとうてい学ぶことのできない大きなことを学ぶことができました。