【 努力賞 】
【テーマ:私が実現したい仕事の夢】
私は実現する
日本大学三島高校 鳥居れな 17歳

まず初めに、私は至ってまじめに真剣に、将来は歌手になると決めている。客観的に見れば、歌手という職業はほんの一握りの才能の持ち主でない限り目指すべき場所ではないと考えられているだろう。勿論、私は親にこの夢を反対されていた。私の両親は、まだ兄と私がためらいもなく手を繋ぐような幼い頃に離婚している。母は兄と私を自身の立ち上げた店の営業に加え、ここまで育ててきてくれた。親戚やお客さんからは、当然この店を継ぐのだろうと思われてきた。私自身も小学校の低学年まではそうなるだろうなと信じて疑うこともなかったし、自分の口から母に向けて「将来はお母さんの跡継ぎをする」などと言っていた。今思うと何て残酷なことを言ってしまったのだろうと罪悪感に駆られろ。しかし、私にはこの夢を諦めることができない。

今年の4月1日、私は朝起きた時から緊張していた。それまでたくさんのオーディションを受けてきて、遂に番組に出演することができたのだ。収録はその1ヶ月前であったが放送日の方が緊張していた。自分の歌がたくさんの人に聴かれ、歌う姿が観られ、そして評価される。放送後は想像以上にたくさんのメッセージが届いた。その一つ一つを読む度やはり私には、これしかないのだと思った。母も私の夢を反対するどころか、応援してくれるようになった。私には母からの言葉が最も嬉しかった。私はこの時、小学二年生の時の先生が言っていた文武両道をして親孝行をしなさいという言葉を思い出して、少し切なくなった。母の本当の気持ちは分からない。本当は怖くて分からない振りをしているのかもしれない。

何故、歌手という職業にこだわるのかと尋ねられたとしたら、ただ音楽の持つ力に魅了されたからだと答えてしまいそうだ。こんなにも歌手になることに拘泥しているくせに、理由があまりにもざっくりしていると思われても仕方がないが、私にとって音楽とは、ギターにとっての弦だと思う。日常の中で経験する様々な感情は言葉に変換され、イントネーションがメロディーを生み出す。落ち込んだ時、心を慰めてくれた音楽、嬉しい時に口から溢れ出す音楽、楽しい時を共有させてくれる音楽に、私は溺れてしまったのだ。

誰でもきっともう一つの夢という物が心に存在していると思う。私は高校卒業後は音楽の専門学校に通う。恵まれているということと、私にこんなにも熱くなれる歌に出合わせてくれた両親と、応援してくれている全ての方への感謝を忘れずに、夢を追いたい。

大きすぎる夢を実現するということを私が証明し、いつか必ず母に本当の親孝行をする。いつかのアーティストが、私に勇気を与えてくれたように、私も誰かの心に勇気を与える存在になろう。

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