私は身体障害者支援に携わって5年目になります。中学生の頃、福祉の専門学校のCMに心惹かれ『福祉の仕事に携わりたい』と考えるようになりました。念願だった福祉系の大学に進学しましたが、学ぶに連れて『辛い仕事、汚い仕事』という思いが強くなりました。実際に何度か福祉施設を訪問しましたが、学生だった私は理想と現実の差にたじろぎ、言葉を失ってしまいました。そして就職活動の時期を迎えました。一般企業に就職するか、福祉施設に就職するか、非常に悩みました。しかし、『せっかく福祉の勉強をしたのだから、福祉の仕事に就こう。何とかなるだろう』という安直な考えに辿り着き、福祉施設への就職を決意しました。身内は私が名の知れた企業や安定した職に就くことを望んでいました。福祉の分野に携わることを理解してくれる人はほとんど居ませんでした。
誰からも後押しされないことは、不安や悲しみしかなく、自棄になる自分もいました。
こうして、私の社会人生活がスタートしました。中高齢の脳性麻痺の方が暮らす光景を初めて目の当たりにし、当時の私は非常に衝撃を受けました。顎や舌のみで電動車椅子を操作する方、寝たきりで声を発することもできない方、重複障害の方。絶え間ない排泄支援に心が挫け、入社してすぐに耐えられないかもしれない。こんな仕事に就いたこと、身内に鼻で笑われるとさえ思いました。自分の意思でこの仕事に就いたものの、介護の現実を受け入れきれず、自暴自棄になりかけていたのだと思います。
ある日、私は一人の利用者に愚痴とも言える弱音を吐いてしまいました。
「働くことって、何なんでしょう。やっぱり、給料や名声が大事なんですかね?この仕事は給料は高くないです。でも、私はこうやってAさんと毎日笑って過ごすのが楽しいです」
病気で喋ることが出来なかったAさんは、満面の笑みで笑ってくれました。その瞬間、曇っていた私の心に晴れ間が差し、今までの不安や葛藤が吹き飛びました。同時に、安直な考えを持っていた過去の自分を叱りました。
現在まで、多数の利用者の方を担当してきました。人の人生に携わることの難しさ、重要さ、儚さを学びながら、一進一退を繰り返す日々が続いています。ある方は私のことを「君は私の友達!」と言ってくれます。「私は職員ですから、友達ではありませんよ」と冗談交じりで返事をすると「友達だよ〜!」と笑いながら返してくれます。
何気ないやり取りが非常に楽しく、モチベーションになっています。ありきたりですが、人間関係や些細なやり取りは本当にお金には変えられないと実感しています。
もちろん、介護業務は大変です。体が悲鳴を上げそうになる時も少なくありません。
しかし、全てを含めて彼らと日々を過ごすことが、何よりも大切だと痛感しました。良いことも悪いことも全てを受け入れ、一緒に悩み、時に道標を立てながら。
微力ながら、私が誰かの人生の役に立てること、誰かの人生の1ページに参加出来ることに感謝しています。