【 努力賞 】
【テーマ:私が今の仕事を選んだ理由】
20歳の私へ
群馬県 nozomi 30歳

仕事は辛いですか?毎日頑張っていますか?きっと頑張り屋のあなたの事だから、必死になっている事でしょう。

卒業してすぐに、幼稚園の先生になって初日からたくさんのクレームを先輩や保護者の皆様からもらったね。

「自分はできる!」なんて思っていたけど、本当は全然ダメだった・・・。

自分の出来なさに、帰りながら悔しくて涙がとまらなくてさくたくたに疲れて帰ってきても、部屋にひとり、不安でいっぱいで、家についても涙が止まらなかった。

夜、布団の中で寝ようとすると、頭の中で声がして全然眠れないんだよね・・・。

自分の事をどんどん追いつめて、嫌いになって、自分だけが可哀そうだって思って。 こんな仕事、自分に合わないって逃げようとしたりしてね。

心配かけたくなかったけれど、お母さんに助けを求めて電話したね。そしたら・・・

「世の中に楽な仕事なんてある訳ないでしょ。根性だしなさい」
そう言われちゃって。すごくムカついた。だから
「私、幼稚園の先生になりたいなんて、1回も言ってないよ・・・」。そう言いかえした。

本当はお母さんに慰めて欲しかった。でもお母さんは慰めてくれなくて、私は電話を切った後もっと泣いた。

小さい頃から、「人生は雨の日も、晴れの日もあるんだよ」。そう言い聞かされて、育った私。

友達みたいに、好きなことを仕事にしたかった。

なんで私だけ、親が決めたレールを歩まなくちゃいけないのか、分からなかった。

悔しくて、また次の日電話をしたね。

「お父さん、お母さんは私がどんな思いをしてるか知ってる?出来なくて、いつも誰かに迷惑かけてミスして。なんで幼稚園の先生になんてさせたの?なんでこんなに、人に嫌われなくちゃいけないの?」

そう電話で泣き叫びながら頭の中がパニックだったね。
東京の厳しさ、社会人になることの厳しさは、想像以上だった。

お母さんは「出来ないのは自分が悪いんじゃない。そんなに辛いなら
じゃあ、辞めて帰ってくればいいでしょ」って言った。
「そんな中途半端に辞められるわけないじゃない」って泣き叫ぶ私に、

「それなら、頑張って続けなさい」。そう言って、簡単な事のように、また電話を切った。

「もう、絶対にいい先生になってやる・・・絶対になるから」。そう私は覚悟を決めた。
ひたすら泣いて、泣き腫らして、冷静になってきた時、こう思った。「子どもみたい・・・」。
仕事を辞めても、出来ない私は変わらない。

悔しいけど、お母さんの言うとおり。私は、ただ根拠のない自信家だったって事。
なりたかった仕事ではなかった。けれど、仕事を続ける事を自分で選んだ。

何も出来ない私を、雇ってくれた幼稚園。
何も出来ない私に、子どもを預けてくれるお父さんお母さん。
何も出来ない私を先生といってくれる子ども達。

感謝しながら働かなくちゃだめだ。こんな私を働かせてくれてくるんだから。

「子どもの心に寄り添える大人になりたい」
「子どもの夢や子どもの可能性を、どこまでも応援してあげられる大人になりたい」そんな先生を目指して。

小さい頃から1番になったことが一度もなかった私。
勉強も、運動も、なんでも・・・人より苦手なことが多かった私に、よくお母さんはこう言った。
「いつか、頑張っていたら必ずいい事がある」。

それから、10年。今、私は30歳になりました。
今私はあなたのお陰で、先生として、たくさんの子ども達や、保護者の皆様に
「ありがとう」って言ってもらえる先生になれました。すごいよね。
誰かのために頑張る事ができる仕事。
こんな、最高な仕事に出会えて、私は本当に幸せ者だなって思います。嘘じゃないよ?
だから、20歳のあなたに伝えたい。諦めないで、頑張れ!!
頑張ったその先には自分の想像を遥かに越えた、自分が待っているから。
私は今最高に、幸せです。本当にありがとう。

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