去年までオーストラリアに住んでいた。現地の大学に通いながら、お金のため、経験のため、英語力向上のために仕事をしていた。僕は日本で理学療法士の資格を取得していたため、オーストラリアでも医療、介護の仕事に出会う事ができた。といっても、50通ほど履歴書やメールを送ってやっとたどり着いた仕事だ。
雇い主は電動車椅子に乗った初老の男。すぐにわかる事だが、胸から下は動くことができなく、感覚もない。脊髄損傷だ。仕事内容はその男の介護、買い物のお手伝い、家の掃除。つまり彼の手となり足となること。
彼はとても優しかった。まず英語が不自由な僕を雇おうと決めた時点で優しいだろう。だから僕が最初にした質問は「なんで僕なのですか?」だった。彼は「日本人にはよい思い出しかないんだ。そしてメールの内容がとても情熱的だったから」と答えた。確かに僕は仕事にありつくため、たくさんのことを書いた。自分ができること以上の事を書いたかもしれない。
仕事内容は特に特別な事はなく、誰にでもできる事だったかもしれない。しかし、仕事中に彼と過ごす時間は特別だった。しかしながら、彼と働き始めた時、英語を理由に彼の事を理解しようとしていなかった。英語をうまく聞き取れないから、英語が上手く話せないから、という理由で必要最低限のコミュニケーション以外は取ろうとしなかった。しかし彼は違った。僕が聞き取れなければ、違う言葉で説明し、時には写真やインターネットを使って、色々な事を教えてくれた。僕は彼の「英語」と向き合っていたけれど、彼は最初から僕「自身」と向き合っていた。
ある時、僕は大学の試験がうまくいかなく落ち込んでいた。英語のせいで試験が時間内に終わらなかったのだ。僕は仕事中に彼に愚痴った。「英語のせいで終わらなかった、母国語だったらできた」と。 彼は答えた。「わかるよ。私も大学時代に脊髄損傷になり、手がほとんど動かなくなったんだ。そして手がうまく動かないから試験が終わらなかったんだよ。悔しかったなぁ」と。僕はすぐに自分の甘さを恥じ、彼に話した事を後悔した。英語は努力で向上できる。彼の手は努力ではもう動かない。
それから僕は必死で英語を勉強した。彼と話す内容もどんどん深くなっていき、言葉の壁はどんどん低くなっていった。しかし、壁なんて最初からなかったのだ。壁は自分で作っていただけで、彼の態度は最初から全く変わっていなかった。彼との距離が近くなっていったのは、決して僕の英語力が伸びたからではなく、彼の事を理解してきたからだ。理解しようと向き合ったからだ。英語を言い訳にしないで彼自身と向き合あうようになってきたから。
英語力が向上するたびに、英語以外の大事さに気づく。これは日本を離れる事で日本の良さに気づく事と似ているかもしれない。大事なものはすでにそこにあって、見えていない事がほとんど。
僕は英語が不自由な事を理由に様々な言い訳をしていた。英語以外にも自分が持っていない事を言い訳にして、幾つものチャンスを逃してきたかもしれない。お金がないから。背が低いから。頭が悪いから。ないものに焦点を当てて、持っている才能やチャンスを見逃していく。
「なぜ僕なのですか?」と質問した僕に言った言葉の続きがある。「日本人は素晴らしい気配りの心と、目の前の事に真面目に取り組める才能を全員が持っている。これはすごい事ですよ」と彼は言った。それは僕が日本にいた時から持っていた才能だ。見えていなかった才能だ。
海外の仕事から学んだ事は、ないものを言い訳にしていた自分の甘さと、言葉や国境を越えて感じる事のできる人の本質。英語を学びに行き英語以外の大切さに気づいた僕は今日本で働いている。オーストラリアでの仕事から学んだ事を大切にして。