【 努力賞 】
【テーマ:仕事・職場・転職から学んだこと】
雨ニモマケズ――賢治に励まされて
東京都 遠藤玲奈 32歳

ここ半年ほど、働くことについて、いつになく真剣に考えています。苦しい出来事がきっかけでした。友人が、応援しがたいビジネスに手を出してしまったのです。

これまでのものとは違うと力説されましたが、私にはマルチ商法のひとつとしか思えませんでした。消費生活センターに相談に行きました。友人が犯罪に携わっていてよいはずはないのですが、違法であってほしいという思いもありました。もしそうなら、あなたは間違っている、今すぐやめなさいと、きっぱり言えるからです。しかし、幸か不幸か、相談員の方の回答は違っていました。関わらない方がよい類のものではあるが、あくまでグレーであって黒とは言えない、とのことでした。だからマルチ商法はなくならないのだと悟りました。うまく法の網目をくぐり抜けているのです。

強制はできないけれど、かなりやめてほしいという思いをいかに伝えるか、途方に暮れました。彼に悪気のないことは、私にもよく分かったからです。

彼とは数年来の付き合いですが、どんな手段を使ってでも自分だけが利益を得たいと考えるような人間では、決してありません。社会の様々な問題に関心をもち、それらの解決のために自分ができることを真剣に模索しています。ただ、そのためには先立つものが必要との考えから、逃れられなかったようです。

アイデアを実行に移すために、ある程度費用がかかるのは事実です。しかし、高い志を抱く若者が、そこにしか思いが至らなかったことが、私は悲しいです。彼もやや短絡的ではありましたが、それほどカネがものをいう世の中だということでしょう。私より下の、生まれて以来ずっと不況の中育ってきた世代にとっては、ますますそのような印象が強いのだと思われます。

社会貢献するにもカネが必要。とすれば、仕事はたくさん稼げるものであればあるほど有意義なのか。私がたいして稼いでいないから、言葉が彼に届かないのか。たくさん悩みました。そして、何か糸口が見つかるような気がしたのか、宮沢賢治の「雨ニモマケズ」を読み始めました。あらゆる出版形態のものを図書館で借りてきて、次々に読みました。私は特にここが好きなんだ、と気づいたのは、「東ニ病気ノコドモアレバ」から始まる部分です。教育学専攻だった私は、できればずっと子どもや若者に関わっていきたいのですが、なるべくフットワークを軽く保つのが希望です。現在も含め、その時々で組織には属しているのですが、ひとりひとりの子どもや生徒より、組織を優先するようになりたくないのです。それはもはや教育ではないと私は考えます。高給取りにはなれそうもありませんが、今の形でなら働くことに苦痛はほぼないので、様々な仕事をこなし、食べていくのに困らない、自分にとっては十分な額を稼いでいます。それなりに自分の時間もあるので、ワーキング・プアという意識もありません。ワーク・ライフ・バランスでいえば、恵まれている方だと考えています。

後世に多大な影響を残すような一大事業は成し遂げられないとしても、自分の働きかけによって周りの人、私の場合は特に子どもたちが、少しずつ幸せになったら十分だと思うのですが、年下の友人は、それではとても満足できなかったようです。それも分からないではありません。私もかつては、より純粋で、その分、自信過剰でした。目に見える大きな成果を上げるのが使命だと感じていたような気がします。

結局は先立つものもたいして得られないことに気づき、彼はそのビジネスをやめてくれました。決して守銭奴というわけではないのですが、それほどお金がなくてもできること、得られるものがあると心から思えるようになるには、もう少し時間が必要かもしれません。それが単なる綺麗ごとではないと、仕事をする姿勢で示すことが、他に特に何もなくても経験だけは少し多く積んでいる私の務めです。たとえ、でくのぼうと呼ばれても。

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