【人材開発統括官賞】
なんの資格も免許も持たない私が、32歳で就職した。
子どもから手が離れ、少しでも家計をたすけるためであった。働く条件は、こどもと同じ日に休める勤務先。ちょうどそのとき、学校給食調理員の募集があったので、迷わず応募した。
調理なら家でもしていることだから、その延長と思えばいい、この考えで仕事に就いたのだが、大きな間違いであることに気付いた。
小学校で九百人分の給食は、家のような、経験や勘だけではつくれない。失敗は許されない、安全性を欠いたら子どもの命に係わることもある。
学校教育の中でも、子どもの命を育てると言うことは一番大切な仕事ではなかろうか。
このように気付いたとき、調理の勉強を基礎からしなくてはならないと感じた。
日常の仕事を通して、また教科書を片手に猛勉強をして、調理理論を学んだ。今まで家庭でしていたことの多くが間違いであったことに気付いた。調理師の免許を取得してプロとしての責任を重く感じるようになった。
子どもたちの
「ごちそうさまでした、おいしかったです」
この笑顔に励まされ、手間ひまかけても、安全で美味しいものを作ろうと、創意工夫を重ねるようになった。
もう、その頃のわたしは、家計の助けのために働いているのではなく、子どもたちの命を育てる仕事に、生きがいを感じていた。
そんなある日、仲間が、九百人分のフライを揚げ、その油の後片付けをしていたとき、鍋底の天かすに火が点いた。種火を消し忘れていたのである。そのとき、私も含めて皆の慌てるようす、油や火に対する知識が全く無かったのである、生きた心地はしなかった。でも幸いに大事には至らなかったのでひと安心した。
このときから、大量調理をする者は油や、火を扱うときの基礎知識を学んでおけば、役立つのではないだろうかと考えた。つまり危険物取扱者免許を取得することだ、決して甘くないと思ったが、挑戦して乙種危険物取扱者免許をもらった。
数年経つと、少し距離のある学校に転勤になった、運転免許を持たない私はバス通勤では時間がかかる。通勤時間が短縮されれば、職場でも、家庭でも、有効に使える時間ができると考え、運転免許を取得した。運転免許を取得したことで、それまで念願だった、高等教育を受けるきっかけとなった。中学卒だった私が、仕事終了後に、夜間定時制高校に4年間通学し、卒業証書を授与されたときは44歳であった。
しかし、私は遅すぎたとは思わない。何の免許も資格も、持たなかった私が就職したことにより、少しでもより良く安全な仕事をするために学んだ知識や技術。時間を有効に使う為の工夫や、職場の人間関係これら全てが仕事を通しての自分磨きであった。
確かに仕事は生きていくための手段である。
しかし、どんな仕事でもより良い仕事をするための知識や技術を学び、経験を重ねることは生涯の自分磨きである。