【入選】
末期がんの治療をしているときでした。
「がんは死ねるからいいよ。目が見えなくなり、足が腐って切断し、手も腐って切断し、ダルマさんのようになってもまだ死ねない。この病院にはそんな人も大勢いるから」
と、同室の患者さんに告げられ、眠れずに萎えた気持ちを抱えたまま、八階の病室から中庭を見下ろしていたときでした。
一階にある外来受付の玄関では、早朝の清掃が行われていました。
むろん詳しいことは分かりません。私が見たのは、ひとりの年輩の女性が外回りを掃除している後姿だけです。
早朝の人気のない中庭で動いているのはそこだけで、病院はやがて来る喧騒が嘘のように、まだ静かに眠っていました。
その人は、入り口に通じるコンクリートの手すりを、雑巾で丹念に拭いていました。
置き散らかされた自転車を一台ずつ片付けて、隅々まできちんと拭き清めていきます。
何度も雑巾を水洗いし、その水をあたりの植木にかけてやるなど、一切の手抜きをしない誠実な仕事ぶりは、見ていて清々しいものでした。
私は、その姿に見惚れていました。
そのうち、その人の手と雑巾、が動くたびに、「ぼろりぽろりと」私の心の垢がはがれてゆくのがわかりました。
不思議な出会いでした。
出会いと言っても、私はその人の顔さえ見ていません。
二人の間には何の関係もありませんが、その人の仕事ぶりは、私の心まで掃除してくださっていたのでした。
楽しそうに仕事をしているその人が、病院のボランティアさんだということが後々わかりました。
病室にも、ニコニコ笑いながら病院と病人に奉仕してくださる医療ボランティアさんが大勢おられます。
毎朝花瓶に花を活けて届けてくださるフラワーボランティアさんがいます。
今朝の花は夏水仙と黄バラとドングリの実を二つつけた枝が一本でした。これらの供給源は病院の庭でお世話している花畑だそうですが、切り立ての花が届くと本当に心が癒されます。
午後のテイタイムには、こちらのリクエストに応じて自在にピアノを弾いてくださる音楽ボランティアさんがいます。
歯の治療に来てくださる歯科ボランティアさんや、お買い物ボランティアさんを見ながら、もう一度、人生のどこかの時期に戻れるなら…と考えました。
もし戻れるなら、私は十代後半から二十代がいい…。そこで何をするのか…。
私は病院や施設のボランティアという仕事を根限りやってみたい。
病、老、死、やがてくる人生の最終章を、青春の最中に経験するのは、他人のためではなく自分のためなのです。
現在も多くの若者がその道を経験しておられますが、それは、やがて大きな財産となって彼ら自身の老いの道を照らすでしょう。
ある日、私は理容ボランティアの奉仕を受けました。
その若者は薄くなった私の髪をカットし、洗い、アッと言う聞に顔を剃り、病人には病人なりのオシャレやユーモアが必要であること、それが「和顔愛語」なのだということを私に伝えて帰っていきました。
若者のみなさんが、自分の特技を生かして生き生きとボランティア活動を頑張っておられます。
その姿こそ、明日の日本を担う「若者力」ではないでしょうか。