【佳作】
私の現在の主な仕事は、娘の育児だ。長女には、生まれつき重度の脳障害があり、三歳三ヶ月を過ぎた今も寝たきりの状態が続いている。言葉を話すことができず、口から食べることもできない。痰の吸引や、経管栄養などの医療的ケアが必要で、一日中、目を離すことができない。これは、きっと一生変わらない。
医療的ケアが必要な子どもを預かってくれる施設は皆無だ。娘を保育園に預けることは、甲子園に出場することよりも、東京大学に入ることよりも、恐らく、かなり難しい。そのため、私は、娘の看護の合間を縫って、家でライティングの仕事を受けている。
仕事を始めたばかりの頃は、単価数十円からのスタート。子どものお小遣い程度しか稼ぐことができず、
「私、仕事をしています。」
なんて、堂々と言えたものではなかった。私の一番の理解者であり、最も身近な存在である旦那さんにさえ秘密にしていたほどだ。
育児づけの毎日を送っていると、なぜか、どうしても仕事をしたいという衝動にかられる。働くことを諦められなかった私は、家族が寝静まった後に、夜な夜な、こそこそライティングを続けていた。単価数十円からのスタートだったが、娘の成長とともに、母としても、職業人としても成長。私の職業欄に並ぶ「ライター」の四文字が誇らしい。
妊娠するまでの私は、とにかく仕事人間だった。起きている時間のほとんどを仕事に費やしていた。毎日が全力投球。常に寝不足。この頃の私は、疲れを感じ、イヤイヤ会社に向かうことも多かった。
しかし、「働きに行く」という選択ができなくなった今、働けることの幸せを、日々噛みしめている。働くことほど、社会とのつながりを感じられることもなければ、自分の成長を実感できるものもない。
「仕事=義務」、「仕事=生きてくために、しかたなくやること」という考え方は、あまりにももったいないことだ。
娘の看護問題と直面したことで、自分にとって働くことがいかに大切かを認識できたように思う。大切なことに気づかせてくれた娘に感謝し、働くことの喜び感じながら、私は今日もパソコンに向かう。