【佳作】
「先生、実は私、難読症なんだ。だから…」
現代文の授業の後、教室を出た私を追いかけてきた女生徒が、言い辛そうに打ち明けた。
難読症。普通に会話はできるし、言葉も人並に理解できるが、文字の読み書きになると困難が生じる。
授業で教科書を音読させる度(たび)、吃音が多い生徒だなと気にはなっていたが…
『読書の秋だから、皆(みんな)、沢山(たくさん)本を読んでね』
授業時の私の言葉を気にしたのか。何気ない言葉が意表外に人を傷つける事もある。人前に立って話す時は少数派の背景も慮りつつ、言葉を吟味しなくては。そう改めて自省した。
「先生、配慮が足りなかったね。ごめんね」
立場の優劣に関係なく、自身の非は即刻謝る。それは信頼関係の構築には必要不可欠だ。
「ううん大丈夫!私は巧く読めなくて残念だけど、先生の物語は面白いって皆言ってるよ」
難読症でも感情の機微を読み取る才に長けた彼女は私を気遣い、大人びた微笑を見せた。
時々、私は自作の物語を授業中に紹介する。
「教科書の見知らぬ人の小説より、目の前にいる人が書いた物語を読む方が興味深いよ」
生徒もそう言って楽しみにしてくれていた。
だが、その裏で辛い思いを強いられた生徒もいたのだ。その瞬間、自分の中に根付いていた『前提』
が覆され、心に突風が吹いた。今まで普通過ぎて特に留意もしてこなかった事や、万人にとって当たり前だと思い込んでいた事。それらが常識とは言い切れない事に気づいた。気付いたなら、挽回したい。
…今、私に出来る事は何か?必死に思案を巡らせた。
「今日は先生が書いた物語を皆に聞いて貰うね。各々(おのおの)黙読じゃなく、先生が朗読します」
翌日の授業、生徒達は興味津々な反応を示した。高校の授業で教師が全文範読する事は稀だ。でも不文律に拘泥せず、時には臨機応変さも大切。驚愕を露わにする彼女に微笑む。
紙面の活字を目で追いながら私の朗読に耳を傾ける生徒達。その中で唯(ただ)一人、顔を上げ、私を見詰めて聞く熱い眼差しを感じていた。
三十分に及ぶ朗読は予想以上の好評を博す。
「自分で読むより、断然こっちの方がいい!物語に入り込みやすくて、情景が頭の中にリアルに広がる!今度から先生が読んでよ!」
賛同の言葉が飛び交う中、純真な瞳が私に訴える。『先生ありがとう』と。…良かった。考えて、実行して良かった。そう痛感した。
翌朝、教室に入るや否や、無邪気な笑顔が駆け寄り、一枚のイラストが差し出された。
「先生!昨日はラジオのドラマを聞いてるみたいで凄く楽しかった!また先生の本を聞きたいな。これ、私が描いたの。先生にあげる!」
森閑とした湖に浮かぶ妖精。私が朗読した物語の絵だった。目を瞠る程巧みな絵に驚く。
「とっても上手ね!こんなに素敵な絵が描けるなんて凄い才能よ。ありがとう、嬉しいわ」
感極まりながら素直に感動を伝えると、彼女は照れ臭げに笑った。昨日の大人びた微笑より、ずっと綺麗な笑顔が私の心を震わせた。
数日後、提出された生徒達の進路希望調査書を点検していた時、くすりと苦笑が零れた。
『ずっと迷ってたけど、先生が私の絵を上手だと褒めてくれたお蔭で自信が持てました!決めました!やっぱり自分が好きな仕事をしたいです。だから、デザイン系の専門学校へ進学してイラストレーターをめざします!』
教師をやっていて良かった。心の底から思った。創意工夫。試行錯誤。そんな心掛けも忘れないようにしよう。ほんの少しの着想で相手の心に光明を灯す事もできるのだ。そして、本心からの褒め言葉なら、相手に可能性という自信を与える事だってできる。だから、素敵な言葉なら惜しまず相手へ伝えていこう。
以心伝心という耳触りの良い言葉に胡坐(あぐら)をかきたくはない。皆それぞれ違う人間だ。どれ程懇意であっても相手の心の中を正確に読み取る事はできない。他人の心は難読なのだ。故に相互理解の為には言葉を惜しむべからず。
そう、だからこそ、『以言伝心(いげんでんしん)』で行こう。