【佳作】

【テーマ:仕事をしたり、仕事を探したりして気づいたこと】
問を持ちながら日常を紡ぐ
福岡県  小林香也子  41歳

私は20年以上前、高校生の頃「抜毛症」という病気になりました。それは髪が無くなっても自分で自分の髪を抜くのが止められない、という病気です。

当時は、周囲も自分自身も「受験のストレスで起こっている一時的なもの」と思っていたので、志望大学に合格した時は「これで髪を抜くことも無くなるだろう」と皆でほっとしていました。

しかし症状はますますひどくなり、頭頂部の髪は無くなって河童の頭のようになってしまったのです。バスに乗れば過呼吸を起こし、日中は友達といても寝てしまうほどの強い眠気に襲われる。次第に歯を磨く、顔を洗う、などの日常的な動作もつらくなり、起き上がれずに1日横になる日が多くなってきました。そんな生活が2、3年続き精神科に入院する頃には「これから先もこの生活が続く可能性が高い」と思うようになりました。「十年後も同じ生活なら幸せでない」そう思った私は、仕事を探し、社会復帰しようと思うようになりました。

当時は精神科が身近でなく、治療をしながら働くことの周囲の理解も今とは違っていたと思います。「精神科で治療しながら働くなんて、大変なことばかりだろう」と想像していたことは大方その通りでした。アルバイトの面接を受けても受からない。「あなたを雇うことはボランティア」と言われる。最初はいちいち傷ついていた私も、30社、40社と面接を断られるうちに、新しい考えが浮かんでくるようになりました。「日本に会社は何社あるのだろう。最後の一社まで受ける気持ちでやれば、採用してくれるところがあるのではないか」その考えは私を少し元気にしてくれました。

元気になったせいか、時々採用されるようになり、今度は「役に立たない」と退職になる日々が始まりました。退職にならなければ職場で倒れ、毎回救急車騒ぎになって自分から辞めざるを得ない状況になりました。アルバイトの面接に受からないのもつらいですが、仕事場でトラブルを起こし退職になるのはもっとつらいものです。そんな状況で浮かんだ考えは、「1か月で退職になったら次は2か月、2か月で退職になったら次は3か月続けよう」というものでした。

新しい考えは、自分を新しい場所に運んでくれるのではないかと思います。症状が出てから7、8年たった頃、やっと目標だったアルバイトを1年続けることが出来ました。同時に、病院での治療も終わったのです。

病気が治って仕事もあればどんなに幸せだろうとずっと夢みていましたが、現実は社会経験の乏しい、会社に行くだけで精一杯の自分と向き合う日々の始まりでした。病院に行っていないだけで体調は悪く、仕事も出来ない。どうしたらこの状況を変えられるのだろう、と思っていた時に出会ったのが今の職場でした。私は今の職場に出会うまで、仕事は義務であり、我慢してやるものだと思っていました。健康な人でも働くことは大変なのに、病気の自分が働くならもうつらいことしかないだろう、と。でも、職場のスタッフは仕事が好きで、望んで働いているのが言葉にしなくとも伝わってきました。仕事に対してマイナスのイメージしか無かった私にその出来事は衝撃で、仕事を続ける支えになっていたと思います。そうして目の前の仕事をしているうちに16年経っていたのです。

振り返って思うのは、向いていないと思っていた仕事でも何年も続けることで、向いている仕事に変わることがあるということ。仕事を続けることは良いことも悪いこともひっくるめて、自分に力を付けてくれること。それは自分を好きになる力、工夫する力など、生きるのを助けてくれる力です。問を持ちながら日常を紡いでいくことは、問の答えを知るだけでなく、自分が本当に行きたかった場所に運んでくれるのかもしれない。その問が、自分を傷つけるものでなく、宝物であったと気が付く日が来るのかもしれない。今はそう思いながら働いています。

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