【佳作】

【テーマ:さまざまな働き方をめぐる、わたしの提言】
手話通訳や要約筆記は、視覚障害者の
PCボランティアとカウンターパートだろうか?
千葉県  横山典子  45歳

「視覚障害者のPCボランティアは、手話通訳や要約筆記(手書き・PCの両方)と同様に位置づけられる。」とある論文に書かれているが、本当に、手話通訳や要約筆記と、視覚障害者のPCボランティアとカウンターパートだろうか?手話通訳や手書き要約筆記を経験した私としては、疑問を持たざるを得ない。

最近は、介護や保育の現場で働く人の大変さが紹介されるようになったが、それ以外の福祉の仕事も決して楽ではない。だが、そのような仕事が原因で病気になっても、「好きでやっているのだから、自業自得では?」とか、「労働災害ではない。」等と、厳しい見方がなされたりもする。

福祉の仕事は一般に、仕事であるにもかかわらず、ボランティア精神を求められているように思われる。それだからか、福祉の仕事をする人は、自分自身の権利よりも、対象者の権利の方に敏感だったりする。「障害者にディーセントワークを」ではなく、「福祉の仕事自体をディーセントワークに」していかなければならないだろう。

ところで、ある手話通訳士資格を有する人が、「手話通訳士とかけて、足の裏に引っついたご飯粒と解く。その心は?取っても食えない。」と言っていたが、私は笑えない。なぜなら、これが現状だからである。長期間費やして、技術や知識を身につけても、その努力はなかなか報われない。手話通訳も要約筆記も、手を動かすという肉体労働と、頭の中で言葉を変換するという頭脳労働の両方を行うが、それを理解している人はまだまだ少ない。もしかしたら、感情労働という面もあるかもしれない。現在は全国各地で厚生労働省のカリキュラムに基づいて養成され、全国統一試験に合格して一人前だが、視覚障害者のPCボランティアには、このような全国版のカリキュラム試験があるのだろうか?

それより、全ての視覚障害者が、PCを使うのだろうか?私自身、講演を依頼された時、ピンチヒッターだったため、当日までにあまり時間がなく、資料を事前に主催者に送付できず、当日持ち込んだ経験がある。そうしたら、受講生の中に、視覚障害者がいた。「資料を事前にお送りしていれば、PCの音声読み上げソフトで、内容を知った上で参加できたんですよね。」と謝ったところ、その人は、「視覚障害者が皆、PCを使う訳ではありません。」とおっしゃった。

使う人ぞ使うPCに対し、手話通訳や要約筆記は、大切なコミュニケーション手段である。視覚障害者と晴眼者は音声言語で通じ合えるが、聴覚障害者と健聴者ではそうはいかない。筆談には限界がある。コミュニケーションが通じないということが、いかに大変な障害なのか、理解していない人は多い。聴覚障害者は、外見からその障害が気づかれにくいため、障害が軽いと思われがちで、精神保健福祉士からも、「聴覚障害で服薬も通院もしていないのなら、精神障害より聴覚障害は軽い障害ではないか?」と言われる。

コミュニケーションが通じなければ、言いたいことを我慢することにつながり、ストレスがたまるということも、理解されていない。使う人ぞ使うPCは、ニーズが限られるので、ボランティアで構わないのかもしれないが、聴覚障害の発言権の保障を考えると、手話通訳者・要約筆記者の身分が、ボランティアでいいはずがない。仕事として、きちんと、それなりの待遇を用意されるべきで、そうでなければ続けられないだけでなく、通訳行為に責任を持てない。

手話通訳や要約筆記と、視覚障害者のPCボランティアは、決してカウンターパートではないと、私は思う。早く、手話通訳や要約筆記の仕事を、ディーセントワークに位置づけられるよう、仲間と共に運動したい。

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