【佳作】
高校卒業後、大手電機メーカーのOLとして10年近く勤務し、結婚・出産を機に会社を退職した。周囲からは「走り出したら止まらない、情熱機関車」というキャッチコピーをつけられたこともある。30年近く、主婦として家庭を守り、家族を支える立場にあった私が、子育てや義母の介護を終えてひと段落したのはまもなく60歳を迎える時だった。そんな節目の時に、定年退職を間近に控えた夫が59歳で前触れもなく急死してしまった。「定年退職したら、新婚旅行で出かけた九州を一緒にまわろうね」と約束していた矢先の出来事だったので、私は気持ちを整理するのに一年ほどかかってしまった。まさに「空蝉(せみの抜け殻)」のような時間を過ごしたのだが、ぼんやりとしていて自分ではあまり覚えていない。二人の息子たちは、帰省するたびに私を気遣って食事などに連れ出してくれた。日々にやりがいを感じ、ひたすら前に進んできた私だが、10年近くにわたる義母の介護をやり遂げ、義母と夫の死が重なり、ぽっかりと心に穴が開いてしまった気がした。
夫が亡くなって、二人の息子も社会人として巣立っていった時、「私が社会に残してきたものは何だろうか」ということを幾度となく考えるようになった。「自分の人生経験で積み重ねてきたことを、お世話になった社会に還元できないか」という思いが湧き上がってくるのを感じたのである。夫の生命保険、退職金などのまとまった資金があったことも私の背中を後押ししてくれた。私は奮起し、兵庫県神戸市で自然食品専門の商社を起業した。作り手のストーリーを感じる農産物を、加工品にするまでの行程をプロデュースし、思いのあふれる商品を必要とする人に届けたいとの思いからだった。立ち上げて5年目、いまではメディア媒体などでも「女性起業家」「シニア起業家の先駆け」と呼ばれるようになった。私は今まで通りの日常の延長線上に「起業(なりわりづくり)」という選択肢があっただけのことなので、周囲がざわついている事に自分の事ながら驚いている。
企業の経営者となり、社員を雇用する立場になってからずっと考えて続けてきたことがある。それは、「社会や社員にとってなくてはならない会社」とは何なのか、ということである。企業というのは、なんらかの社会的役割を担って事業を行っていることと思う。それが、時には「社員ではなく会社のため」「会社の利益のために社員がいる」と、本来の目的を失ってしまい、方向性がぐらついてしまうこともある。そんな時、「社会や社員にとってなくてはならない会社」という社是を皆で読み上げ、思いを統一するようにしている。「社員の満足度が高い会社は、長く続く」「社員や社会に必要だと認められてこそ、会社がある値打ちがある」と取引先の社長様に言われたことがある。その言葉が私の指針にもなっている。そして、「自分自身が何歳になっても輝ける仕事をする」ということが私のいきがいにもなっているのである。
私は、「シニア女性であっても」、「シングルマザーであっても」、「どのようなハンディキャップを持っていたとしても」、仕事を通して輝き続けてほしいと思っている。できない言い訳をするのではなく、挑戦する勇気を持ってほしいのだ。私の姿を見て「64歳のおばちゃんでも、あんなに輝いて楽しそうにしている」と思ってほしい。新しい一歩を踏み出す起業家を育てながら、「働くことって素晴らしいんだよ!何歳になっても挑戦し続けようよ!かけがえのない財産になるよ!」ということを多くの女性や若者たちに伝えていくことが私なりの社会への還元だと思っている。