【努力賞】
【テーマ:仕事をしたり、仕事を探したりして気づいたこと】
夢とは違う道で積んだキャリア
大阪府  かなこ  38歳

私は、小学校、中学校時代を沖縄県で過ごした。本土や離島との交通手段が飛行機しかなく、年に数回飛行機に乗る機会があった。狭いけれど特別な機内の空間、空の上を飛んでいるというわくわく感、そういうものが何度乗っても新鮮でいつも飛行機に乗ることを楽しみにしていた。

その思いは大学生になっても変わらず、就職を意識し始める時期になると真っ先に「CAになりたい」と思うようになり、エアラインスクールにも通った。

結果は全滅。希望である国内大手エアラインはおろか、海外のエアラインも合格することが出来なかった。泣いた。自分なりにCAを目指して頑張ったつもりだったし、子供のころからの夢でどうしてもかなえたかったから…。

結局、希望とは180度異なる自動車部品を扱う会社に就職した。

「トランスミッション」「エンジン」などの誰でも知っているような自動車の部品を扱う会社だった。

自動車にはさほど興味が無く、免許すら持っていない私には畑違いの会社だった。正直なんでこの会社に採用されたのかわからなかった。

入社してすぐ、製品の出荷や生産管理などの現場作業を担当した。1日に何千個を注文通りに出荷をするという単純だけどミスの許されない仕事であった。

日々社内、社外から問い合わせが来て、人と話す機会が多く、うまく答えられた時や感謝されたときはやりがいを感じていた。

しかしながら、これを一生の仕事にするとは思えず、まだCAへの憧れを捨てきれていなかった。

社会人3年目の秋にもう一度CAにチャレンジしようと、社会人枠に応募した。面接会場に来ると、昔CAを目指していた華やかな雰囲気がよみがえり「やっぱりここで働きたい」と強く感じた。面接は、1次、2次と順調に進んだ。正直嬉しく、空の上で働くことにわくわくしていた。しかし、3回目の面接の際、「あなたのCAへの意欲は素敵だが、今の仕事を続けたほうが良いのではないか」「あなたの憧れはCAかもしれないけれど、あなたのやるべき仕事は今の仕事なのではないか?」と面接官に言われ、不合格となった。

3次面接で落ちることに悲しくなったが、同時に、合格出来無かったことに納得出来た自分がいたのも確かだった。

その時から約10年。迷いもあったが、同じ業界でキャリアを積んでいる。

仕事も、現場から始まり、購買、営業と色々経験させて頂いた。

景気の良い時に、注文が多すぎて納期が間に合わず、現場の作業員さんに毎日のように残業をお願いし、何とか納期を間に合わせたこと。

東日本大震災の時に2か月間全く売り上げが無く、ものすごく暇で会社がつぶれるかと本気で心配したこと。

不良品を納入してしまい、お客さんに頭を下げまくったこと。

何度も壁にぶつかり辞めようと思ったこともあったが、それを乗り越える中で自分は変わっていった。

仕事を成し遂げたという自信が付き、苦労を共にした同僚との一体感が強まり、お客さんとの信頼関係も深まった。

仕事を10年続けることで、仕事は外から見たイメージと実際に経験することは全く違うことが分かった。

仕事とは、長年働いて初めて「本質」「やりがい」が見えてくるのだと感じている。

もちろん華やかなCAは素敵な仕事だけれど、地味であっても日々のやり取りで少しでも人に感謝される機会があるこの仕事は私は大好きだ。

私は社会人としてはまだ未熟。これからも流れていく社会の中で会社の一員として経験を積んでいくことで新しい仕事のやりがいを見つけていきたいと思う。

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