「お母さん、これ買って〜1,000円だよ。安いじゃん。」
ある日、買い物中に子どもが私に言ってきました。1,000円が安い?子どもの金銭感覚に驚きました。
ついむきになり、「お金を稼いだ事もないのに、1.000円が安いなんてよく言えたね!」と、小学2年生の息子に強い口調で怒ってしまいました。
私は28歳で結婚し、32歳で子どもを産みました。その為、子どもを育てる頃には勤続年数も長く、収入も生活に困らない程度貰える様になっていました。実際、子どもを育てるのに金銭的に苦労をした事はほとんどありません。自分の子どもはとても恵まれていると常々感じる程です。
それに対し私の両親は結婚が早く、20代前半で子供を産んでいます。給料もまだ少ない時期に子ども3人を育てるのはとても大変だったと思います。仕事をし子どもを育てる親になって初めて両親の凄さやありがたさを感じる様になりました。
しかし私も息子同様、子どもの頃は「あれ買って〜、これ買って〜。」と母を度々困らせていました。もちろん欲しいと言っても全て買って貰える訳ではありません。子どもだった私はそんな親に対し暴言を吐いていました。「なんで買ってくれないの〜?ケチ。」と。
もちろんその頃の自分には金銭感覚がある訳でもなく、ただ欲しいからという欲求のみで言っていたと思います。私の子どもも同じです。「ただただ欲しい」それだけです。
仕事をして給料を頂く様になってから、初めてお金を稼ぐ事の大変さを実感しました。きっとそれは本人が体験しなくては得られない感覚だと思います。親としてお金を稼ぐ事の大変さを子どもにきちんと教える事が大切だと感じます。お金は降ってくるものではありません。一生懸命働かなければ得る事は出来ないのです。
それを私なりに子どもにきちんと伝えました。すると母の日に子どもから手紙を貰いました。文面には、「ママへ、いつもありがとう。ぼくたちのためにがんばってくれてありがとう。」と書かれていました。嬉しくて思わず涙が出ました。きっと子どもに私の思いが伝わったのだと思います。この手紙は会社の引き出しにしまい、いつでも見れる様にしています。
子どもの教育にも、仕事を通して感じた事が生かされています。
仕事は楽しいだけではありません。時には辛く、投げ出したくなる事もあります。辛い事もたくさんあるのに、「なぜ私は仕事を辞めないのか?」それは生活する為にお金が必要だからという理由もあります。「しかしそれだけなのだろうか?お金を稼ぐ為だけに仕事をしているのだろうか?」今は違うと感じています。しかし、就職する前の自分は「稼ぐ=仕事」と思っていました。やりたい事がはっきりとあったわけではありません。ただ漠然と、学校を卒業したら就職するものだと思っていたのです。仕事を始めた当初は訳も分からず、がむしゃらに仕事をしていました。楽しいなんて感じる暇もありません。しかし真剣に仕事に取り組み、少しずつ手応えを感じられる様になってくると、仕事が楽しくなりだしました。今の仕事が好きだ、と思える様になってきたのです。
私は子どもが9ヶ月になった頃、育児休暇を終え仕事に復帰しました。子どもには寂しい思いをさせていると思います。母親失格と言われるかもしれません。しかし仕事に復帰した理由は生活の為だけではありません。仕事を通じて充実感を得て、素敵な人生を送る為でもあるのです。私の頑張る姿を見て、子どもにも何か感じるものがあると思います。今はまだ、小学2年生と幼いですが、いつかきっと大人になって私と同じ立場になった時、この選択を理解してくれると信じています。そう感じて貰える為にも、私は仕事、家事、育児にこれからも奮闘していきます。