勘弁してよ〜と夫は泣く
私は47歳である。ニュージーランドという幼児教育の先進国で0歳から5歳までの学校で教師をやっている。10年になる。若い頃から「これが私の生きる道!」と、この道を目指したわけではない。何となく世界を放浪し英語を学び、縁あってニュージーランドで家族を持ち、たまたま息子の通っていた学校が人手不足で助手の仕事をいただいた。それがきっかけだった。ニュージーランドの教育体制の素晴らしさに感化されて、勢いで大学の幼児教育学部に入学した。6年かけて3年課程を何とか乗り切ったら、学校から正式な教師としての仕事をいただいただけなのだ。
根性をかけた気はないが、貧乏な家計の中からやりくりしてお金を払った以上やめるわけにはいかった。
そして30代の大学生は、仕事、家事、育児を怠らないよう、誰が何と言おうと自分のペースで大学生活を自分で組み立て、アジア人一人の教室の冷ややかな雰囲気にめげない厚かましさがあった。あとはいつものように愛嬌と度胸と継続。そうしているうちに教師になっていた。
あっという間に教師としてベテランさんである。子供たちの人生で最初の社交の場を提供し、子供たちが自分は有能であるという自覚と自分の言動に自信を持つことができるよう導いていくのが、私たちの仕事である。子供たちは私を「ズムズム」と呼び、愛してくれている。英語はいまだに怪しいが子供たちも怪しいので気にならない。仕事に自信があるし、誇りを持っている。
さて、私は47歳にして夢がある。夫はうんざり顔で応援してくれている。「世界は広いんだよ。見てみたいよね。知ってみたいよね。違うところがあるけれど、たくさん同じところもあるよね。嫌う必要はないよね」というメッセージを多くの子供たちに発信していきたい。「50を目の前に、もう夢って場合じゃないんじゃない?」と母は言う。でも、心ウキウキ、夢は教師業を飛び越えて児童書に始まり、講演活動やNGOとして貧困な国での活動にまで、大きく羽ばたいてしまう。今のところ、童話の公募の結果は芳しくないが、私は決してめげないのだ。
ニュージーランドで教師をしている私は、私が目の前の子供たちにとって初めて出会う異国の人なのだ。普通、子供たちは怖がる。だって、肌が黄色い。髪が黒い。鼻が低い。でも、ほかの子供たちが普通に話している。飛行機に乗るんだって。御飯が好きだって。お箸を使うのがうまいんだって。紙飛行機が上手なんだって。ハローはおはようって言うんだって。英語が変だけど、ズムズムって面白い!優しい!私たちと同じ!子供たちは私に慣れていく。町で会う観光客はきっとズムズムの家族に違いないからあいさつしよう!親からの情報によると子供たちはそう思ってくれているようだ。
私が初めて教えた子供たちは現在中学生になり、選択授業で日本語を頑張っている。日本に旅行や留学で行き報告に来てくれる。学食のメニューに寿司の追加を要求していると言う。小学生の子供たちの中には「おはようございます」と言い続けている子供たちがいると言う。日本という国は彼らにとって身近で安心で尊敬すべき国なのだ。うれしく思う。私が何となくなってしまった教師という仕事が私に「私にしかできない何か」をくれていた。
多くの子供たちの心から世界に対する偏見を押し出してしまいたい。そもそも偏見というもの自体、大人から子供に知らず知らずに感染させてしまう悪なのだ。そして、それが争いを呼ぶ。そういう負の因子が子供たちの心に忍び込む前に、世界は楽しそう!世界のことを知りたいと思う好奇心の種を蒔いていきたい。芽吹くのを見守っていきたい。
私の夢がかないますように。いつものように思いつくことを教師をしながら、何となくいろいろやってみよう。そのうち、また新しい道は自然に開けるに違いない!