【努力賞】
【テーマ:仕事をしたり、仕事を探したりして気づいたこと】
ひとすじの道を歩く
岡山県  J.K  55歳

私は、今年卒後30年、開業9年目の歯科医です。早や「先生」と呼ばれている時間の方が長くなりました。ひと口に30年といってもいろいろなエピソードに満ちた年月でした。

男女差別や同僚の歯科衛生士のいじめに始まった新卒直後。くやしくて、悲しくて、世の中の不条理に泣いた。これを打開するには「ぶっち切り」の実力をつけることしかないことを昼休み練習、休日には講習会へ参加。勉強漬けの日々を過ごした。やがて、実力もつき、周囲に何も言わせない状況を作り、結婚して一度現場を離れた。しかし、育児のみの生活に飽き足らず、再び現場復帰。ここでも、短時間しか働けないというハンデがあったため「訪問診療」での復帰となった。短時間勤務でも、相当の売り上げが上げられる「訪問診療」を通して、介護への関心が高まり、「介護支援専門員」の資格を取得するまで続けた。育児との両立は、困難を伴ったが、育児を通して小児への理解、摂食嚥下の勉強ができて、こちらも、自分の仕事に対して大きな収穫を得ることができた。厳しい道を歩んだ者だけに与えられる「果実」があることを学んだと思う。

しかし、ここでまたアクシデントが起こる。思いもよらぬ離婚である。元姑の認知症による「物盗られ妄想」と、それを利用した元夫による「モラルハラスメント」である。一度は、精神を病みかけたが、冷静になるだけの精神力は残っていた。子供も家も職場もなくなった(元夫とは共同で開業していた)が、私には、健康な身体と歯科医師免許が残っている!!ここで、踏みとどまって、もう一度、花を咲かそうと、闘志が湧いてきた。とにかく、ずっと仕事を続け、他人の何倍も勉強し、努力を重ねてきて、実力をためてきたのだ。それからは、何も恐れるものはなかった。

開業まで時間があったので、他の職業を少し経験してみたいという好奇心も手伝って、ハローワークへ行ってみたが、「歯科医」の免許と運転免許と介護支援専門員の資格はあるが、40代半ばという年齢が問題であった。要するに、私には、「歯科医」いう仕事としか選択の余地がないのだということが、しみじみと知れたのだった。

常に仕事のスキルを磨き、今までこれたから、開業後9年経ち、スタッフと共に心安らかに日々を送っている。患者様にも恵まれ、充実した診療人生をできるだけ長く過ごしていきたいと願っている。

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