【努力賞】
【テーマ:仕事をしたり、仕事を探したりして気づいたこと】
不思議な縁
東京都  涌井伸二  62歳

私の大学時代、学校推薦を得れば必ず希望の会社に入社できた。ところが不合格。覚えていることは「きみは、面接試験のときに何を言ったのか!」と就職担当の先生が前例のないことに青ざめたことである。いきさつは忘れたが、ソ連(現ロシア)の国土に対する所有欲に関する話を披露した。政治的な話を引き出され、そして不用意な意見を開陳したのだ。さらに、なぜ忘れられないのだろう。恨かもしれない。趣味の話になって、シートに記載した読書「偉人伝」が、政治向きの人物なのかと問われた。数学の有名な定理を発見あるいは大陸移動説を最初に唱えた学者達のことを偉人と象徴的に記載しただけだ。でもさらに追及された。完全な官ではないが、その性格をもつことに何らの注意も払えていなかった。

不合格の事実は覆せない。いつまでもくよくよしてはいられない。就職戦線はもう終盤だ。やっとのことで、当時は名前も知らない会社に入社した。ところが、配属直後から、自分の裁量によって仕事を進捗させる新規開発テーマに従事した。教えてくれる人はいないので、自力で勉強せねばならなかったが、それが面白かった。「入社して十年程度の人材を集めてプロジェクトチームはつくれた。だが、薹とうが立った人間を集めると仕事が進まない。だから、新人を鍛えてプロジェクトも成功に導きたい」というチームリーダの超特異な方針がなかったら、つまりこの縁に巡り合わなかったならば自由に勉強する時間はとれなかったはずだ。しかし、電話のかけ方や、無愛想な店主が切り盛りする小汚い居酒屋での席順にまで口うるさい上司であった。社内に配布する技術レポートに対しては、詳細が不分明なはずなのにやかましい改善指導があった。毎週金曜日になると、一杯付き合うことが常態化した。「きみね〜、飲めないと仕事ができないということだ」と既に出来上がってしまった赤ら顔の上司は言った。「バカを言っては困る。飲んだくれることと、仕事ができる、できないことの間に何の関係があるのか!」と言い放ちたかったが、苦いビールとともに飲み込んでいた。

だから、この上司を相当に憎んでいた。組織変更があったときほっとした。ところが、憎しみが懐かしさに変り、よい上司のオヤジだったと思えるようになったのは十年後あたりである。その間にさまざまなタイプの上司にお仕えして、オヤジの有難さが感じられたのである。オヤジ以降にお仕えした管理職は総じて紳士であった。だが、打てば響くような人たちではなかった。場を治めることに終始しており、面倒な要求は忘れたという擬態が透けて見えた。一方、オヤジにはよく面倒をみてもらった。技術に対する熱烈な想いは理解していたが、侮辱とも見紛う口激だけは許せなかった。だがまてよ、嫌われる注意だと承知のうえで、エネルギーを使って赤の他人に言ってくれている。このように受け止め方が変わったとき、オヤジは偉いと思った。このことは、紳士的上司が無益ならまだしも、害になることが多いという経験からも納得できた。さらに、学術性を忌避する企業人が多いなか、オヤジは狭量な姿勢ではなかった。開発後の遠い先も視野に入れていたのだ。忌避は実質的成果を期待する性急さが企業人にはあり、大学人の気質とは異なることに起因する。オヤジのおかげで、大学人との付き合いを豊富に経験させてもらった。巡りめぐって大学教授になっている遠因は、オヤジの指導によることは間違いない。あれほど嫌いだったお酒も、「酒は飲むべし百薬の長(春寂寥)」であるとかたく信じている。

振り返って、仕事をとおした人との出会いは不思議な、それはまことに不可思議な縁としか思えない。

同期の男とともに、すでにリタイアしたオヤジと居酒屋でお会いした。飲み過ぎを注意された。意外なので同期と顔を見合わせ、そしてニヤと笑った。両名とも逆らわずに拝聴した。

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