【努力賞】
【テーマ:さまざまな働き方をめぐる、わたしの提言】
大切な1個のピース
大阪府  相野正  67歳

私が中学を卒業した昭和三十五年当時、田舎では夢なんて誰も意識していなかった。

バスもめったに来ない村には、夢もやって来なかったのかもしれない。

中学を出て漁師の子は漁師、百姓の子は百姓に。継げない子は自立して食うために職を探して村を出る。まずは継ぐこと、食うことだった。

当時の田舎では、高校に行ける子は半分もいなかったのだが、親のいない私は、住み込みで働く祖母の仕送りと奨学金で何とか高校を卒業できた。文章を書く仕事ができたらいいという漠然とした思いはあったが、まずは病気がちの祖母に代わって、すぐに働かないといけなかった。

今の就活は、自分に合う仕事や興味を持てる仕事がみつかるまでじっくり探すようだが、当時は誰しもそんな悠長なことはしなかった。

私は今でも、自分に合う仕事を探すのではなく、仕事に自分を合わせるものだと思っている。自分ではこれをやりたい、あるいはこれは向いていないと思っていても、他人様が見れば違うかもしれない。

世の中の適材適所は自分で決めるものではない。若い人の仕事のミスマッチは自分で「合わない」と思い込み、「やりたいことではない」とせっかくのチャンスを自分で投げ出してしまうことも一因かもしれない。

一億総活躍とは、ジグゾーパズルをはめ込むように、全ての人がぱちんと希望のスペースに入って活躍する前提ではなかろう。1億2,674万個のスペースが用意されており、探していれば必ず最適の場所に入れるものでもないはずだ。空いているスペースの形に自分を合わせて入り込み、大きな社会という絵の一部となって活躍するものではなかろうか。

私はとにかく就職できたので仕事を必死に覚えた。理屈抜きだった。

そのうち、とうとう寝たきりになった祖母の介護も始まり、ささやかな家庭を持つ頃に祖母は旅立った。

さあこれからだと、さらに仕事に全力投球し始めたのはいいが、四十半ばを過ぎていつしか謙虚さを忘れ、評価を不満として転職した。

しかしそれからも同じ失敗を続けて転職を繰り返した後、ようやく気がついた。

過信し、勘違いしたままではそのうち自分の入るスペースはなくなる。社会という大きなジグゾーの絵の中にいる以上、その1ピースとして最適に活きるための勉強をしないといけないと。52歳で3度目の転職にあたって、それまでの経験則は捨てることにした。

もういちど、あの初めて就職したときの気持ちに戻り、先頭に立って汗して働く。

そして1ピースに徹しながらも、組織という絵を広い目で俯瞰すれば、自分は何をすべきかということが客観的に見えるかもしれないと考えた。

折から東日本大震災が起こり、誰もが防災の大切さを知った。そこで自分の時間を使って徹底して防災対策を学び、若い人たちと激論を交わしながら企業存続計画を練り上げた。60歳で役員に、昨年67歳を前に職を辞して人生をリセットした。

どうすれば自分を活かせるかがやっと分かったのは、最期の15年だけだった。

若いときは周りに甘え、次は努力もしないで評価されたいと甘え、自分に甘え続けた企業人人生だったと自戒している。若い人は早く気付いてほしい。

失敗してもそこから学び、活かさなければならない。それが早いほどいい。失敗を成功に変えられる人は失敗に甘えないものだ。

私たちはジグゾーの小さな1個のピースかもしれない。しかし結局はみんな大切な1個になれるはずだ。それが夢の実現というものだと思っている。

半世紀ぶりに村に帰ってみようと思ったとき、忘れていた物書きになりたいという気持ちがふつふつと沸いてきた。

だから私はリタイアしたとは言わない。あくまで人生をリセットしただけ。今度は新しいステージで、失敗で学んで得たものを文字におこして伝えていけたら、当初の私の夢が叶うことになるのかもしれない。

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