【努力賞】
【テーマ:仕事をしたり、仕事を探したりして気づいたこと】
いつでも夢を
宮城県  及川守  68歳

小学校の教職に就いて十数年過ぎた頃、私は問題教員と言われる先輩に、いろいろ嫌がらせを受けていた。

「何でも先輩の言う通りにしないといけない」「子供たちといつも遊んだりして人気取りをし、自分だけいい子になっている」「勝手に『学級だより』など出してはだめだ」などと理不尽なことを言われ続けた。

同僚の先生方には何でも相談して、筋を通してきただけに、じわじわとストレスがたまっていった。学年主任は問題教員に注意してくれたり、私に「先生は、何も間違ったことはしていないのだから、今まで通り自信を持って頑張りなさい」と励ましてくれたものの朝起きて、学校に行きたくないと思ったことが正直、何回かあった。

学芸会を間近に控えたある日の放課後、大道具作りを美術が得意なM先生に手伝ってもらうことになった。彼は私より10歳年下だが何かと気が合い、弟のように付き合っていた先生である。

大道具を作りながら、問題教員のことで私が愚痴をこぼすと「あんな先生の言うことなんか気にすることないですよ。周りの先生方は皆、及川先生の味方ですから」といつもは温厚で穏やかな物言いの彼が、少し興奮した様子で話し、私を力づけてくれた。

「子供たちの可能性を引き出して伸ばす教職は、素晴らしい仕事だと思います。でも本当は私、漫画家になりたかったんですよ。その夢は教員になった今でも持ち続けています。漫画を何とかして教育の中に生かしていくことはできないだろうかと考え、今いろいろ研究しているところです。どんな仕事でも夢を持って取り組むことが大切だと思います」「漫画を教育の中に取り入れて、教育効果をあげていくというわけだね。楽しく学べて、子供たちは喜ぶだろうなあ。夢があっていいねえ。私もいろいろな仕事の中から、子供が好きで教職の道を選んだのだから、子供のために多少の嫌なことは我慢して、先生に負けないように夢をもって頑張らないとね」

私より若いM先生だが、仕事に対する考え方、自分の生き方などがしっかりしていて、いろいろ感心させられた。

定年退職してから四年後、M先生の奥様より突然、喪中のハガキが届いた。

M先生が53歳の若さで亡くなったというのだ。手書きで「お知らせが遅くなりすみません。不治の病と分かってから2年4ヶ月、いつも良い夫、良い父親でした」とつけ加えてあった。

彼は「自分の可能性を試し、自分自身に夢を見るということは『心の豊かさ』につながると思う」ということを現職中よく言っていた。その言葉通り亡くなる間際まで、彼の夢であった漫画を描き続けたという。

後日、彼の遺作を奥様のご好意で送ってもらった。体の強い痛みをこらえて気力だけで描いたというが、最期まで穏やかな気持ちで一日一日を過ごしたという。私は、仕事でも家庭生活でも、夢を持って生きることの大切さをM先生の生きざまから学んだ。

私は学校を定年退職してから9年になり、間もなく古希を迎えるが、気の合った仲間たちと、さまざまな社会貢献活動を行っている。その中に、介護施設を訪問して、高齢者の方々と一緒に歌を歌ったり、ゲームや体操をしたりして交流を深めるボランティア活動がある。

この活動に参加してみて、教職員時代に身につけたいろいろな経験が、高齢者の方々とのつながりを深め、心の壁を取り払い溝を埋めるのに大いに役立っていると思う。

これからも今までの経験を生かし、一日一日を大切に地域・社会のために、地道な社会貢献活動をこつこつと続けていきたいと思う。

いつまでも夢を持って。

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