【一般財団法人あすなろ会会長賞】

誰かを支えるために
東京都  しお  22歳

「あなたにとって、“働く”とは何ですか?」

私が、就職活動で度々質問された内容だ。その時は、私は当たり障りのない答えを返したと思う。なぜなら、私はそれまで自分が「働いた」と言えるようなことをしたことがないからだ。

4月から私は社会人として仕事を始めた。何もかもが真新しいことばかりで、仕事を一つ一つこなすだけで精一杯の生活のなかで、私が今、再び同じ質問をされたらどう答えるのだろう?と最近よく思う。

私が22年間生きてきて、一番近くで見てきたのは、父親の姿だ。私の父は毎日、水道管や下水道の工事をする現場仕事をしている。会社員とはいっても、私は父がスーツを着て仕事にいく姿は一度も見たことはない。私にとって、仕事にいく父の姿は、緑の作業着を着て、首にタオルを巻いて家を出ていく姿だ。父は、土曜日ももちろん仕事にいくし、唯一の休みの日曜日であっても、時には急な仕事が入って休みがなかったり、休みでも私と妹のために家族で遠くに連れて行ってくれたり、と自分よりも家族のことを第一に考えてくれる。

昔、母から父の昔話を聞いたことがある。父は、両親を若い時に亡くして、妹や曾祖母を一人手で養っていたこと、私が生まれてから、「家族の時間をとりたい」という理由で、それまでしていた仕事から今の仕事に転職したこと。「お父さんは、あなたたちのために一生懸命仕事をしているんだよ。自分みたいに寂しい思いをさせたくないから、頑張っているんだよ」と母は私と妹によく言っていたのを覚えている。

6年前の東日本大震災で、私の実家は津波で流失した。その時も、父は家が全壊になっているにも関わらず、すぐにライフライン復旧のために仕事をし始めた。自分の家がなくなっても、そんなことは復旧を待つ人々にとっては、関係ないからだ。私は親戚の家で身を寄せながら、毎日父が仕事から帰ってくるとホッとしたのを覚えている。きっと、一番辛かったのは、父だろう。自分が生まれた場所がなくなっただけでなく、これから先が見えないのだから。でも、父はそういう素振りは全く見せなかった。

父はよく、こう言っていた。

「家族がいるだけで幸せだなあ。家がなくなっても仕事がんばれるよ」。

私は4月から仕事を始めたばかりの社会人1年生だ。まだまだ一人前には程遠いし、ましてや自分の生活を送るだけで精一杯だ。仕事をし始めて、私は家族を養っている父の姿がそれまでよりずっと大きく見えた。今の自分にはまだまだ父の背中は大きい。きっと、いくら頑張っても超えることはできないだろう。でも、いつか私にも家族ができた時、私は自分だけのために仕事をするのではなくて、自分以外の周りの人々のために仕事をしたい。それはきっと大変なことだし、並大抵のことではできないことだ。けれども、父が私達家族を支えているように、私も誰かを支えられる存在でありたい。

「あなたにとって、“働く”とは何ですか?」

私が今、同じ質問をされても、きっとまだ戸惑ってしまうだろう。まだまだ社会人と言えるほど立派なことをしているわけではないし、たかが3ヶ月ほどで「働く」ということを語れるような生活を送っているわけでもないと思う。けれども、私は今ならこう答えるつもりだ。「一人で自立するためはもちろんですが、自分の家族や大切なひとを支えるために仕事をすることだ」と。「今は自分が自立するために働くだけで精一杯だけれど、いつか自分がそうされたように、誰かを支えるために働きたい」と。

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