【公益財団法人勤労青少年躍進会理事長賞】

責任とやりがい
筑紫女学園中学校  塩屋心雪  14歳

なぜ人は働くのだろう。大半の人はまず「お金のため」と答えるだろう。お金がなければ生きることができない。生活をすることができなくなるからだ。しかし、仕事をする理由はただお金を稼ぐためだけなのだろうか。

私は以前、中学校で行った職場訪問が思い起こされた。その職場訪問で私は家庭裁判所を訪れた。家庭裁判所は、未成年の非行や家庭内の問題を取り扱うところである。間違えた判断を下してしまうと、少年少女の将来や家庭の仲に傷がついてしまう。つまり、裁判所で働いている人々は、人の将来を背負っているということである。このことから、働くということには「責任」がついて回るのだ。毎日責任とともに働くとは正気でないと思っていた。しかし、その中で働くことで、少年少女を正しい道に戻す。家庭内紛争の解決。納得した離婚や相続など、人々から感謝され尊敬されるやりがいのある仕事だと述べられていた。

これは裁判所の例であったが、他の仕事にも当てはまる。例えば私の父だ。私の父は自衛官である。自衛官の中でも色々な職種があり、その中で父はパイロットの仕事をしている。つい最近だが九州地方で記録的な大雨が降った。相当な被害で、父は7月5日の災害派遣要請を受け、今現在も福岡大分地区の災害派遣で家を空けている。車輌で入れない孤立した地区の住民の方々を一人ひとり吊り上げながら救助している。東北大震災では、洋上に流された人の捜索と救助をする任務にもあたった。父の仕事は直接人と関わるものであり、迅速な判断に重大な責任がある。それに自分の命がいつなくなってもおかしくない状況で働いている。なぜ自分の命を危険に曝してまでその仕事を続けるのか。それらの仕事にやりがいを感じ、人々の助けになることは喜ばしいと言っていた。

このように、仕事には少なからず「責任」というものが纏わりつく。その責任がある中でも続けたい仕事には「やりがい」というものがある。人なら誰しも逃れたい責任を自分から背負っていけるのは、責任の対価であるやりがいの均衡がとれているからだと私は思う。仕事にはお金だけでなく、やりがい、生きがいだと感じるから長年続けられるのだ。

さて、自分はどうだろうか。責任を背負えるような大人になれるのだろうか。「ニート」という言葉を聞いたことがある人も多いだろう。今ではほとんど定着しつつある言葉だ。ニートとは15歳から34歳までの人で、家事や就業、就学をせず、職業訓練のいずれもしていない人のことを指す。若年無業者の非就業希望理由として、まず病気・怪我のため。学校以外で進学や資格取得などの勉強をしている。次に、仕事をする自信がない。とあった。働いていない人をニートといっても、ひとまとめにできないと思った。3番目の理由にある「仕事をする自信が無い」これはニートの代表的な姿なのではないか。実際今の私も思っていることである。社会に適合できるか、それこそ責任をとれるかという風に考える。

仕事をすることは自信が必要なのだ。だが、今まで、家でひきこもっていた人物がいざ社会に出たとして、すぐ自信が持てるのだろうか。周りは年下、同年代に上司、履歴書は真っ白。働く自信というものは、日々の生活の積み重ねでついていくものだ。

働くなど私には遠い未来のように思っていたが、かなり近く迫っているようだ。自分に責任と吊り合うだけのやりがいを感じる仕事があるのか。まず日々の生活の中で自信を積み上げていくことが必要だと思う。働くこととは、自信がいるものであり、責任とやりがいがついて回るものだと思った。

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