【公益財団法人勤労青少年躍進会理事長賞】

【テーマ:仕事をしたり、仕事を探したりして気づいたこと】
仕事をしたり、仕事を探したりして気づいたこと
愛媛県  mikan  19歳

その日、私は19年間生きてきた人生の中で一番泣いた。涙が溢れて止まらなかった。

指で軽く押しただけで崩れ落ちてしまいそうなぐらついた心で、医者の言葉を聞いていた。

「ADHD、注意欠如多動性障害です」

私はその日、障がい者になった。

ADHDとは脳の機能障害の一つで、不注意・多動性・衝動性などの症状が主である。注意欠陥多動性障害とも言われる。私は小学生の頃から忘れ物や遅刻が多く、授業中じっとすることもできなかった。それでも何とか生活を送れていたが、高専に入ってからは症状が悪化し、実験では器具を壊しまくり、企業説明会では貧乏ゆすりが止まらず途中退席させられる始末。保健室の先生に言われるがまま受診した精神科で、ADHDと診断されたのだった。

「だらしない」「怠け者」ずっとそう言われ続けてきた。

他のみんなが当たり前にできることが、自分にはできない。ずっとずっと悔しかった。

ADHDだと診断されたときは、まるで自分が欠陥品だと宣告されたようで、悲しくて、自分が障がい者だと信じられなくて、涙が止まらなかった。

私はADHDだと診断された日から引きこもりになった。処方された薬は飲まず、学校にも行かず、ひたすら布団の中に閉じこもるばかり。私は障がい者なのだから、学校へ行ったって無駄だ。私は欠陥品なのだから、どうせ何もできないんだ。

しかし、学校を休んで1週間ほど経った日のことである。心配した友人が、私を訪ねてきた。

「そのままだったら一生布団から出れんよ。うちのバイト先にの人おるけん、話聞いてみたら?」

ADHDでも働いている人がいる。私は友人のバイト先まで話を聞きに行くことにした。友人が働いていたのは、ホテルだった。

私と同じADHDの女性はフロント業務をこなしていた。「お帰りなさいませ!」と笑顔で宿泊客を出迎え、流れるようにチェックインを受け付ける。ロビーから見ていても、全ての動きにおいて無駄がないことが分かる。「Sさんはフロントのプロなんよ!」と友人も太鼓判を押す。とてもじゃないが私と同じADHDだとは思えない。

Sさんが休憩時間に入り、私は彼女に話を聞く機会を得た。本当にADHDなんですか、嘘ついてないですよね?

つっけんどんに聞く私に、彼女は優しく答えた。

「うちもね、昔はミスばっかりで何もできんかったんよ。仕事が出来んかって何回も転職した。ADHDって分かってからは、恥ずかしくて障がいを隠そうとした。」

でもね、と彼女は続ける。

「ずっと悩んだけど、このホテルでは打ち明けてみることにしたんよ。そしたら支配人も先輩のスタッフさんも協力してくれて、複雑な仕事は何回かに分けて指示してもらったり、忘れそうなことは確認してくれたりして、すごく働きやすくなった」

そう言い終えると彼女はカバンの中から分厚いメモ用紙とスマホを取り出した。

「私も変わろうと思って、色々頑張ってるんよ」

メモ用紙には一日の仕事内容を書いておき、一つ終えるごとに線で消していく。どんなに小さなことでもメモすることで、物忘れが減ったという。スマホはタイマー代わりに使う。時間を設定し、決められた時間内は一つのことだけに集中する。

「ADHDやけんって自分に酔ったらいけんよ。自分で自分を諦めたら何も変わらん」

この一言が、私の胸に突き刺さった。

私は今、Sさんと同じホテルでアルバイトをしている。最初はミスも多かったが、積極的にメモを取ったりタイマーを活用することで、一人でもフロント業務をこなせるようになった。

障がい者は欠陥品ではない。けれど、完璧でもない。人間、誰だってそうだ。歯車のように欠けている部分があって、突き出ている部分がある。欠けている部分を互いの歯車で補い合い、社会を回している。私は来年就職を控えているが、障がいのことを隠さず伝えようと思う。障がいを持つことは恥ずかしいことではない。私自身も努力し、自分なりに欠けた部分を補っていきたいと思う。

私はもう、自分自身を諦めない。

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